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静かに満ちる幸せの朝。 | 2006年06月03日(土) |
一度、彼女を見たいと思う。 ふわふわの髪の感触も、軽やかな笑い声もよく知っているけれど、その瞳を見たことはない。 色を尋ねると、別段変わったこともない普通の緑よ、とつまらなさそうに彼女は言うけれど、彼にとってそれがどれほど特別なものなのか、きっと分かりはしないだろう。 もとから目が見えなかったわけではない。視力を失ったのはほんの数年前のことで、突然の暗闇に惑い、立ち尽くした彼の手を取ってくれたのが、出逢ったばかりの彼女だった。 「コーネリア」 小さな鈴の音は、彼女が近くにいる証拠だ。 多分この大きさと音の聞こえる方向なら、庭で洗濯物を干しているのだろう。証拠に、布を広げるばさばさとした音が鈴の音に混じっている。 りん、と鈴がひときわ大きく鳴った。 「どうしたの、エシィ」 「……いい加減、外を出歩いても良いですかね?」 「だーめーでーす。うっかり川に落ちそうになったあげく風邪を引いちゃったおばかさんは元気になるまで出ちゃだめー」 「だからもう熱は下がったと」 食い下がってみても、彼女が聞く気配は全くない。 「病み上がりさんは大人しく家の中、ね」 諭すような声は、低くはないが落ち着いていて心地良い。 そんなことをのんびりと考えていたら、まだ熱でぼんやりしていると勘違いされたらしく、「ちょっとそこにいて」と怒ったような声とともに鈴の音が遠ざかってしまった。 どうしたものか、と彼はその場に立ち尽くす。 きぃ、と小さくドアの蝶番が軋む音がして、そちらを振り返る。 「コーニー」 「大人しく寝てなさい」 ぐいぐいと背を押され、思わず柱に手をついて抵抗する。 「もう元気ですよ」 「だめ」 「……あまり寝てばかりだと体が鈍りそうで」 背中を押すのを止めた彼女が、小さく彼の髪を引っ張る。 屈んで、という合図に中腰になると、骨のぶつかる軽い音が額でした。 彼女のふわふわした髪が頬にかかってくすぐったい。小さな手はいつの間にかこめかみに回されていて、どうやら熱を測っているらしい。 「あの、コーニー?」 「……確かに熱は下がってるみたいだけど。あんまり無理しないでね」 気遣わしげな声とともに、ひんやりした額と手があっさりと彼の顔から離れていく。 それに僅かな寂しさを感じながら、彼は淡く微笑んだ。 「大丈夫ですよ」 「エシィの大丈夫はあてにならない」 「心配性ですね」 「誰のせいで」 むくれたような声の彼女が離れていく前に、咄嗟に腕を絡めて抱きついた。 驚いてもがく彼女を巧みに捕らえて、その額にキスを落とす。 「あ、のねエシィ、」 「はい?」 「まだ洗濯物が残ってるの」 「だから?」 彼女が言い募る間も、彼は構わずあちこちに口付ける。 困ったように「うー」唸る彼女は、一瞬の逡巡のあとに彼の首に抱きついて囁いた。 「離して?」 「だめです」 即答に、彼女はがっくりとうなだれた。 どうやら色仕掛けか何かのつもりだったらしい。ある意味効いたが正直逆効果だと彼は思う。 「エシィのばかー」 「ばかで結構ですよ。ばかは聞き分けが悪いので離してあげませんが」 女の子らしいまろやかな肩の丸みと柔らかい体は、抱きしめていると心地良い。 「ああもう、まだ一杯残ってるのに! しわだらけになったらどうするの」 「そのときは私がもう一度洗ってあげますよ」 「そんな労力と水の無駄は認めない。ねえ、分かったから離してよ」 「いやです」 ぐいぐい袖を引っ張る彼女に緩くかぶりを振る。あまりの快さに、起きたばかりだというのに何だかまた眠くなりそうだ。 「だから、一緒に干せばいいでしょ? 具合が悪くなりそうだったら即座にベッドに放り込めるし、エシィも退屈しなくていいじゃない?」 「……それならまあ、しょうがないですね」 名残を惜しみながらもしぶしぶ拘束を緩めると、ほっとしたように彼女は息をついた。 「じゃあ、行きましょ」 迷うことなく彼の手を取って、空いたもう片方の手で外へ続く扉のノブをひねる。 彼を光の中へ導くのはいつだって彼女だ。 頬に、朝の冷たく澄んだ風と陽光を感じながら、彼はひどく幸せそうに微笑んだ。 ****** なんだこのばかっぷる(白目)。 あまりの恥ずかしさにじたばた悶え転がって途中で筆も止まります。己の限界に挑戦したとしか思えないアレっぷりです。案外限界って遠いものですね(……)。しかも何か意外に長い。 しかし男の方、朝っぱらからべたべたあまあまと恥ずかしいわお前それでもはたちすぎかー! |