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No-Mark Stall *




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唐突な宣告。 | 2008年01月03日(木)
「……結婚、ですか」
書斎机の向こうに見える優しげな相貌の父を渋い顔で見返し、彼女はその言葉を静かに反駁した。そうだとも、と微笑みを崩さず老いた父は頷く。
「……今更嫁き遅れの私をもらってくださるようなものず……寛大な方がいらっしゃるとも思えないのですが」
「嫁き遅れといってもまだ二十だろう、心配はいらない」
のんびりとしたその口調に苛立ちを隠せないのか、彼女は指先で机をこつこつと叩く。
「弟のことはいかがなさるおつもりですか。まだ三つでしょう」
「大丈夫、あの子が成人するまで私は長生きするつもりだし、万が一の際はお前の夫となる方が引き受けてくださると仰っていた」
「ですが」
「これで私も安心できる」
更に言い募ろうとした彼女の言葉をそう遮り、穏やかな眼差しが娘をじっと見つめる。
その見透かすような鳶色を前には何を言っても無駄だと悟ったアデルは小さく溜息をついて「分かりました」と頷いた。
「そうか。よかった、よかった」
にこにこと笑う顔を前に、これで良いのだと彼女は自分に言い聞かせる。
突然の縁談に対する動揺は未だ収まらない。
一生を独り身で過ごす覚悟を決めた途端のどんでん返しだ、神に恨み言のひとつでも言いたくなるのももっともなことだろうと扇でさっと口元を隠して父に半ば背を向け、彼女は自らが知る限りもっとも酷い罵言を唇だけで呟いた。
そうして気を取り直して振り返り、出来うる限りの笑顔で彼に問いただす。
「夫となる方がどのような人物なのかお聞きしても?」
「うむ。気になるだろうと思って今晩の食事にお招きしておいた」
伸ばし始めた白いあご髭を撫ぜ、父はそんなことを笑顔でのたまった。
ぴきりと一瞬固まった彼女は、しかし三つ深呼吸をする間に先ほど以上に澄ました微笑を浮かべた。

「……そう、そう、そうですか。分かりました。ありがとうございます。相手の方のお名前とお年とだけでも教えていただけますか」
「相変わらずアデルはせっかちだ。お隣のヴェストベリのご長子殿だよ、あとはお前も分かるだろう」
「ええ。私よりも幾つか年上の、金髪の方でしたわね」
それでは支度を致しますので失礼しますと優雅に礼を述べて退席を果たしたアデルは、自室に戻って扇で机を思い切りぶったたいた。

「ああもうあのタヌキ……! 女が戦装束調えるのに一体どれほど時間かけると思ってるの! 数時間で済むわけないじゃない男とは違うんだから! 何よ当日いきなり夕飯に婚約者招くとか! 婚約者の存在すら今日初めて知らされたっていうのに!知らないよりはマシだけどそういうことはもっと早くに言え! あああああもう!」
きいいいい、と叫びながらびしばし壁を扇で打ち据える令嬢を、しかし部屋付きの侍女は平然として見守る。
「お嬢さま。お怒りももっともですが、ご夕食まであと三時間ほどですが」
途端ぴたりと音は止み、父によく似た優しげな微笑を口元にたたえてアデルは振り返る。
「そうね。エリー、この前仕立て上げたばかりの服があったと思うのだけど、あれに合わせる髪飾りは何が良いかしら?」
「それでしたらこちらや、あとこちらの新しくおつくりになったものなどがよろしいかと」
主人の行動をよく理解している彼女は、既に準備してあった飾りの幾つかを冷静に指し示す。
「さすがはエリーね。着替えるから手伝ってちょうだい」
「かしこまりました」

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前に書いたツンデレ夫婦、出会い編冒頭。
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