樹里ちゃん日記
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2003年02月13日(木) |
花組「エリザベート」(2) |
この「闘う」っていうのが、私には今回のキーポイントになっている。 花総シシィは、トートとあまり目を合わせていなかったのではないかと思うほど トートから、逃げていたような印象が強い。 白城シシィは実際の舞台は一度しかみていないが、「闘う」って言葉は似合わないような気がする。 この二人に比べて、大鳥シシイは、正面きって、トート様を見据えていた。闘っていた。 みどりちゃんは、公演の前にドイツの「エリザベート」を観劇していて、その強いシシィに出会い、 みどりちゃんの演じようとするシシィの外枠が固まったのではないかと思うのだが、さだかではないのであしからず。 特に、春野トートと二人の場面ではこの印象が強くなる。 お二人とも、歌がすばらしくうまいのでその印象がさらに増長されているかもしれない。 大劇場では、会場全体が「息をのむ」って体験は今回の花組「エリザベート」では味わえなかったが、 東京お茶会時の観劇2回とも、この貴重な体験をさせてもらった! これだ!この居ても立ってもいられないぞくぞく感がたまらないのだ。
これと同じ、いや、もっとすごかったと記憶しているのは、姿月トートの「エリザベート」の阪急貸切の時に味わった。 観客の皆さんの息さえ聞こえてきそうな静けさの中、姿月トートの歌が始まったとたん、観客の興奮が津波のようにうねりを上げて、 会場の後ろから舞台をめがけて大きな波となり駆け抜けていったような錯覚にとらわれた事があった。 この時の感想を話しても「ええ〜?」って笑われたが、私にしたらすごい体験となって今でもはっきりと体の感触と共に記憶に残っている。
1月中旬の東京「エリザベート」観劇2回ともこうだったのだから、楽近くの舞台はすごかったであろう・・ 大鳥シシィはやっぱり闘ってくれた。 そうだ、シシィは真実の愛を得るために、闘うのだ。 旅に出ている時でさえ、大鳥シシィは逃げているとは思えないのだ。 闘っているからこそ、その自分とも戦うために旅しているとしか思えない。
フランツ・・ 彼も闘う! 和央フランツが高貴な生まれのおだやかな印象が強いせいか、樹里フランツは闘うフランツだ。 600年の重みと、母からの束縛と、自分のなすべき仕事と、シシイへの愛とのはざまでの葛藤と・・・ 樹里フランツは、自分と戦う、自分を縛るものとシシィへの愛を示すこととは正反対のものなので シシィに自分の愛を示すためには、それらから来る葛藤と、フランツ陛下は闘わなくてはならないのだ。 最終答弁の陛下は一番あつくトートと闘っている。今までのどのフランツよりもあつい!(と思うのだが・・・) あつい血が流れるフランツ陛下、これこそ樹里フランツだ。
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