ゼロの視点
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2002年11月13日(水) 冠詞

 全然、仕事を進めていない私。そのことからくる焦燥感は、日に日に高まってきている。小学校の時の、夏休みの宿題の悪夢を思い出す。8月30日から急いで宿題をやりだすならいいのだが、私の場合、2学期が始まって、同級生が宿題をすべて提出した姿を見届けてから、自分の宿題に取り掛かっていたのが常だった・・・・(汗)。今回も、こうなるのか?!?!?!?。

 とはいえ、仕事にからむことで、今、あらためて進めていることがある。それは、フランス語の「冠詞」の徹底研究だ。先日、日本人向けの本屋にてブラブラしている時、『初学者も専門家も 新・冠詞抜きでフランス語はわからない』(一川周史著・駿河台出版社)という本をみつけ、それ以来、暇をみつけては読み進めている。とっても面白い本だ。

 それから、夫の師匠が出版している『LE FRANCAIS DECHIFFRE, clé du langue et des langues』(Henri ADAMCZEWSKI著 ARMAND COLIN出版)という本も、ものすごく面白い。

 しかし、だ。面白いこれらの本だが、読んだ分だけ、すぐに実践でそれらの知識を生かしきれているか?、というと・・・・・・・。逆にいうと、それらのことを意識しすぎて、自分のクビを絞めているとも言える(滝汗)。問題を意識する、とはいえ、それをスラスラと使いこなせないというジレンマに、焦点を当てすぎているという、自己分析だけはできる。

 これらのジレンマをそれとなく、フランス語を母国語とする輩にブツブツと愚痴ってみるのだが、だいたいが「そんなのフランス人だってよくわかってないのよーーー」とか言って、軽くあしらわれるのがオチ。そしてこれが「てめえら、なんだかんだいって使いこなせているじゃねーーか」と、余計イライラする原因にもなるのだ・・・・・。

ああ、悪循環・・・・。

 私は、大学の頃、"なんちゃって"フランス文学専攻だった。なぜ"なんちゃって"なのかといえば、要は、真面目でなかったのだ。特に、原文で読書することに対して・・・・。逆にいえば、"なんちゃって"状態なのに、"アタマでっかち"だったということ。若気のいたりとはいえ、こっぱずかしい過去だ。
 
 これらの、真面目でなかったという考えが、現在のコンプレックスの根幹をなしていること。つまりは罪悪感といものを、自分が後生大事に抱えていることに気づいてしまった!!!!。私はマゾか?!?!?!?!。

 マゾでいるのは、くやしいっ!!。ということでとっさに、大学でのフランス語の授業の質を思い出してみる。本当に、いちおう名の通った教授連中のフランス語の質はどうだったんだろう、と。

 だが・・・・、どうして、こうしてあーでもない、こーでもないと、私は考えようとするのか・・?。

 仕事のために冠詞を研究するというのは、あくまでも聞こえのいい現実逃避の言い訳なんだなぁ・・・、と自覚した!!!。本当にジタバタしているんだ、私は!!!!。おおっ。

 こう気づいた瞬間、楽になってしまった。
 ああ、これでグッスリ眠ることができるぞ。
 
 きっと明日は、進行表を作り始めていることだろう。
 


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