ゼロの視点
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先日、世界中のあちこちであった反戦デモ。今回のパリの反戦デモには、用事があっていけなかった私達。その時間、家でテレビをみていた。
我が家はLCIという、ニュース専門放送テレビを受信しているのだが、それを見ていたときのこと。各国での反戦デモの様子が流れていた。ロンドンでは何十万人とか、そういう数字と様子を何気なくみている私達に、突然日本での様子が流れてきた。
日本での反戦デモは300人・・・・。
ええっ?!?!。300人?!?!?!?!?!。
一瞬聞き間違えたのか?、と思った。まだフランス語のヒアリングができてないのか?、とも思ったので、夫に尋ねてみると、やっぱり彼も300人とアナウンサーは言っていたという・・・・。
果たして、300人という数は多いのか少ないのか?。日本の人口に対して、単純に計算すれば、絶対的に少ないのは確か。しかし、もし私も日本に住んでいれば、反戦!!、なんて思ってても、デモなんてしようと思わなかったかもしれないし、参加することなぞ、考えてもみなかっただろうから、なんともいえない。また、こんなふうに考えている人が多いと推測するのだが・・・・。
フランス語で、デモはmanifestation、動詞でいえばmanifester=表明する、明示する、という意味になる。
確かに、manifestationがさかんな“おフランス”に比較すれば、日本は表明することを美徳の一つとして取り入れていないことは確か。それに、いくらmanifestationしたって、戦争が行われるときは行われるんだから、とあきらめモードが漂いやすいのも日本なのかもしれない。
ゆえに、反戦を内心訴える日本人がたくさんいても、それが外国のテレビカメラで、端的に撮影できないのは無理ない。逆説的に、こういう国民が多いなか、300人もの人がいた、ってことは数字的には、“多い”ともいえるのではないか?、とまで思えてきた。
国民投票として、ダイレクトに総理大臣を選べない日本に対して、フランスは自分達の一票が、そのまま大統領を選ぶひとつの原動力となるシステムも、やっぱり大きな違いなのだろう。
昨年のル・ペン騒動の時のデモに参加して思ったが、manifestationを表すもう一つの言葉、"descendre dans la rue"(直訳でいえば、路上に下りていく)という感覚を肌で味わったものだった。それが例えふざけた参加表明であっても、とりあえず家から出て行き、自分の意見を体現していくとい表現すればよいだろうか?。
ル・ペン騒動の時のメーデーのmanifestationには、実に第二次世界大戦のパリ解放の時以上の人が文字通り“路上”にいたとのこと。また今回の反戦デモは世界中で参加した人数は史上最大だったとも言われている。
戦後、アメリカべったり政策だったドイツも、踵をかえした今、日本はどのようにアホ・ブッシュ政権から距離を取っていくのだろうか・・・・?。
特に、母国を出て異国で暮らしている身にとって、世界情勢の変遷にはどうしても敏感にならざるを得ない。もし現在、槍玉にあがっているのが、アジア人であったり、または日本そのものであったとしたら、と思うと、やはり穏やかではいられない。
エコール・ド・パリと呼ばれた、いわゆるフランスのベル・エポック時代も、第二次世界大戦へ繋がる、各国での情勢異変(殊にファシズムの台頭)により消滅している。また日本でも、大正ロマンと呼ばれた古きよき時代も、全体主義の軍服連中により消滅させられている。
うーーーん、やだな、なんだか・・・・・。
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