ゼロの視点
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ひょんなキッカケから、夫の転勤に伴い海外にやってきて、現地での生活になかなか適合出来ずに、どんどん精神を病んでいってしまった方のHPを見つけた。かなりキツカッタと思われる心境が綴られてある。
私は、語学の苦労等人並みにして現在に至っていると思っていたが、これらを読んでいると、楽にここでの生活に適合していたのかもしれない。
と同時に、昔、阪神大震災から2年後で、まだまだ街が完全に機能していないとある関西の街に住んだ数ヶ月間の記憶が蘇ってきた。当時、一緒に住んでいた相手がいて、その相手の転勤に伴って、私も関西に移った。
関西には、古くからの友人らもいたし、何しろ関西弁とはいえ、みな日本語を喋るので、外国に移住するほどは問題がないと思っていたが、私には、とんでもない効果をもたらした。そう、要するに現地にまったく適合できなかったのだ・・・・。
引越し当初はまったく気がつかなかった。きっと引越し等でかなり疲れているんだと思っていた。相手に伴って行った自分には馴染みのない場所で、家を一日でも早く快適に住めるようにし、そして、相手の帰りを待つ生活・・・・。一歩家を出ると、地震の後遺症があちらこちらにある歪んだ町並み。おまけに貧富の差が一目瞭然。頑張っても家を再建できない人の存在が何故か非常に私を滅入らせる。
そんなことにはじまり、どんどんネガティブになっていき、それまで出来ていたことが、まったく出来なくなっていってしまった。運転するのも怖い、外出しても楽しくない・・・・・、等。生まれて初めての経験!!。
ましてや、それまでの仕事で、人がみつからないときは、自分で簡単なカースタントや、テストドライバーをやって、スピード狂と自他共に認める私が、怖くて、怖くて、街中を時速30キロでしか走行できなくなっていたのだからっ!!。
友人宅を訪れるために、旅行として関西地方に来ていたときは、関西は大好きな土地のひとつだった。今でも、関西は好きだけれど、どうして、当時の私は、こんなにも不適合症状を発してしまったのだろうか?。
もちろん、色々と問題が残っていた私と相手との関係も、これらを引き金にして、どんどん悪化してったのは言うまでもない。関係を解消して、東京に戻ってきた私。するとどうだろう、運転もできるし、なんでも出来る。今まで何にでも感じていた恐怖感というものが、吹き飛んでしまった・・・・。
この一年後に、私は旅行者としてイランの帰りにパリに立ち寄り、現在まで住み続けているのだが、どう考えてみても、関西で体験したような、不適合の症状は発していないことを再確認。
海外生活になかなか適合できずに、時にウツ状態になったり、そこまでいかなくても、弱気になっている人に時々出会う。今までは、自分が関西で経験したことをまったく忘れていたが、今度はこのことを話してみようと思った。海外、国内を問わず、こういったことは起こる時には、起こるのだ、と。
誰か(夫など)に伴いどこかへ転勤する、ということが、自分のアイデンティティを脆くさせる一因なのかもしれない。自分で思うように動けない、というフラストレーションが、人によっては、過剰な結果となって出現するのだろう。人に頼っているうちに、頼らないと駄目な自分を無意識に作り上げてしまう、という感じ。
パリというコスモポリタンな街に住んでいること・・・・。これだけでも、自由を感じる日々。パリ嫌いな人が多いのは知っているが、私には、この小さな都心で、自分の足で動き、感じ、働き、コミュニケーションを取ることが日々の活力となっていることは確かだ。
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