ゼロの視点
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2003年04月02日(水) Adieu Leslie Cheung

昨日の夕方、3月4日からパリに滞在していた、いとこI嬢をオペラのバス停まで送りに行った。長かったようで短かった奇妙で可笑しな日々もこれでオシマイ。I嬢が無事にバスに乗ったのを確認して、帰宅。

 久しぶりに日本のニュースをネットで見ると、ビックリする記事があった。香港人俳優のレスリー・チャンが転落死、という記事。さっそくクリックすると、まだ詳しいことが記載されていない。どうしたんだ?!?!?!。

 彼のファンサイトなどもみつけて、状況を知ろうと試すものの、そこでもやっぱり確かな情報が掴めていない様子。

 1993年の秋、私は2週間弱の休みをとって、パリに旅行客として滞在していた。友人Sに連れられて、カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得したばかりの映画"Adieu ma concubine"(邦題:さらば、わが愛〜覇王別姫)を映画館に観に行った。

 友人Sとのフランス語と英語ちゃんぽんの会話(旅行客としての、私の当時の語学力は惨めそのもの)ですでに疲れ果てていた上に、どんな映画かサッパリわからないまま、この映画がはじまった。中国語にフランス語字幕の長編映画・・・・。ううっ、キツイ。映画の始まりでは、必死に字幕を見ていると、肝心な映像を見逃しそうでヒヤヒヤした。

 しかし・・・・・、だ。主演のレスリー・チャンの演技に救われたのだ。たとえストーリーの詳細がわからなくとも、それを充分にカバーしてくれるほど魅力的な演技。ものすごくハンサムというわけでもなく、オトコとしてみたら、背も低いけれど、“女優”として彼を解釈するなら、それはものすごく味があり、映画にどんどん引き込まれていったものだった。

 こんなことを思い出しながら、もう一度ニュースを見てみると、今度は転落死の文字が、自殺に変わっていた。これじゃ、映画と一緒じゃないか?!?!?!、とあらためてビックリ・・・・・・。

 私の知っているレスリー・チャンは、幸か不幸かこの一作の映画のみ。「ブエノスアイレス」は未だ観ていない。歌手としての彼のこともよく知らない。だからこそ余計、この映画と、彼の人生の終え方が重なってしょうがないのだろう。

 そんなわけで、何故彼がこういった選択をしたのか?、という理由が知りたくなり、日本語サイトだけじゃなく、広東語サイトまで枠を広げ、4月1日の夜は、友人Hが我が家を去った後、一晩中広東語と格闘していた。アル意味私の現実逃避ともいえる。

 しかし、広東語・・・・・。だいたいの意味は推測できても、肝心な文法を知らないので、訳せそうで訳せない。漢字の意味も日本語のソレとは違っていることも多々あり、ああ、よくわからんっ!!。たくさんの記事を読んだ割には、ものすごい消化不良・・・・、というより消化不可能(涙)。

 こんなことをやっているうちに、夜が明けそうになったので、寝ることにした。夫には、仕事をしていたとイバッてみた。


 いずれにせよ、死の原因などは、その本人にしかわからない。たとえ広東語ですべての新聞等を読みこなせても、わかるはずがない。自分の意志で、死に完全に到達しようという行為。こういう選択を自分がしたいと思う日が来るんだろうか?、と漠然と考えていた・・・・・・・。


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