ゼロの視点
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ふと思った奇妙な違和感・・・・・・。
というのも、いとこI嬢の3月4日から4月1日までのパリ滞在と、ロンドンでの小学校からの幼なじみM嬢との日々、そして、同じくロンドンでの大学時代からの友人のライブなどが同じ時期に重り、日本じゃないのに、まるで日本にいたときのように、古い付き合いの人ばかりに集中して会ったからだと思う。
例えば、I嬢と時を過ごせば、瞬時に自分の家系の習慣に知らず知らずのうちに戻ってしまうし、ロンドンのM嬢と過ごせば、もうそりゃ、小学校からのことがつい昨日のように当たり前に存在し、そのうえ、互いの現在がある。またロッカーH氏と喋っていても、膨大で無益な時間を過ごした仲間だっただけあって、妙におもしろい。
私をふくめて、全員がそれぞれの道を歩んで、それなりに変化してきているのは確か。I嬢の帰国と同じくして、H氏やその彼女KI嬢も日本に帰国していって、私の生活は日常に戻った。そう、日本人じゃない夫との、私にとっては異国での生活・・・・・・。
恐らく、日本でこれらの人に会ったら会ったで、たいした違和感を感じなかったのだと思う。きっと、パリで一極集中的に懐かしいメンバーと再会したことが、理由のような気がしている。
いつもの生活が再開しても、夫は、この一ヶ月私の身に何が起こったのか、私と同じようには感じられないと思う。例え、彼が外国人として異国に10年近く滞在してた経験があっても、だ。
今回の経験を通して、幸か不幸か、自分は夫の世界と、友人と、家族と時にうんざりするくらいコミュニケートすることができる。では、夫はどうか?!?!?!。パリで一緒に暮らしている妻としての私を通して、現在の私は理解していると思うが、日本での私というのは、おそらく類推でしか判断できていないのだな・・・・、と思わざるを得ない。
夫の家族を含め、その生い立ちの背景を理解するには、フランス語のマスターが最低限必要だったし、それゆえ、知らず知らずのうちに努力(この言葉は好きじゃないが)してきたのかもしれないが、日本語がまったくアウトな夫は、果たしてどこまで日本および、そこで生まれ育って、現在パリで暮らしている妻としての私が理解できるんだろうか?!?!?!?!?、と考える。
すっかり、日本モードになって夫に本日あったことを語ろうとしても、そこには妙に外人ヅラした夫がいて、妙な戸惑いを感じる(笑)。“あんた何モン?”って思ってしまうのだ。
5月中旬以降に私は免許の更新で日本に戻るが、今回のことを通して、夫を絶対同行させようと思った。個人的には夫なしのほうが断然気楽なのだが、様々な機会で生の日本を見せる必要を感じたし、またキレイ事なしのソコでの人間関係を知らしめる必要があると痛感した。
すでに、現在の仕事で私の校正係りとして活躍している夫だが、それだけでは駄目。日本について書く仕事の機会をもっと深く利用して、ただの校正じゃなく、彼にも彼なりに日本についての考えを打ち出してもらおうと思う。
ある種、イデアリストな私もあるが、どうせ夫婦であるなら、もっともっと相互理解を深めたく思う今日この頃。相手に合わせたままというのが、どうしてもできない自分というのも再発見。キミがここまで自分をみせたなら、私も見せなくてはならない、みたいな気負い?!?!?!。
外人の日本かぶれ、もしくは日本人のフランスかぶれ、等はたくさんいる。とはいえ、かぶれていられるのは、じかにソレ自体に触れない、もしくは触れなくていい立場であるからこそ。アル意味、美味しいとこ取り、とも解釈できる。そう・・・・・、まるで類推と実感が違うように。
ま、こんな風に書いてきたが、単純な例を挙げれば、不幸にもフランス語が理解できるようになってしまった今、見聞したくもない夫家族のソープオペラを意に反してマジマジと理解せざるを得ない。が、夫は幸いにも日本語を理解しないし、自分の義理家族もフランスからは遠い国に住んでいるゆえに、彼にとっては対岸の火事でいられる夫。そんな彼に、不条理な嫉妬を感じているだけなのかもしれない(笑)。
とにもかくにも、今回は、私自身において、いい刺激になった。まだまだ考察&トライすることがたくさんあることを発見したのだから・・・・。
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