ゼロの視点
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2003年04月28日(月) 煉獄

 今から一ヶ月前ほどに、夫のところに、神父Aから電話がかかってきた。神父Aは、夫がサン・マロの寄宿舎学校にいた頃のラテン語の教師。夫と知り合ってから、サン・マロを訪れるたびに、時間があれば彼のところへ訪れていた。

 神父Aは、現役を退き、この間まで日本語でいう“老人ホーム”に住んでいた。老人ホームとはいっても、書斎はあるし、食事はホームが全部用意してくれて、自分で自分のことができるかぎり、そんなに不自由をしていないようにも見えた。

 彼の部屋には、そりゃあ、たくさんの本が所狭しと積み上げられていた。本の背書きを見るだけでも、彼の知識量がおのずとわかる・・・・、そんな感じだった。本当に、彼は光っていた。

 そして、ここ1年くらいサン・マロに行っても、なかなか時間がなく神父Aをゆっくり訪れる時間がなく、そのままになっていた先月に、彼のほうから夫に電話がかかってきたのだ。

 彼の声からは、往年の凛々しさが完全消失して、まるで絶望の淵からのような感じだった。その語りを聞いているだけでも、彼が、もうどうしようもない程の閉塞感に囚われてしまっているのが、痛いほどわかった。

 そして、一ヶ月弱たった先週末、なにか妙な予感がして、夫と二人で神父Aのいる老人ホームへ電話してみた。すると、彼は、いなかった・・・・・。従業員の話では、神父Aは、病院に担ぎ込まれたとのこと。

 転院先の電話番号を聞いて、すぐさま電話をすると、応答なし。あらためて病院の関係者に事情を聞いてみると、神父Aは、現在ベットに縛り付けられているとのことだった。

 ふいに、彼は自殺を試みたのか?!?!?!、との思いがよぎった・・・・。それは未だに定かでない。とはいえ、ベッドに縛り付けられるというのは、相当のことではないとありえないのでは・・・・?!?!?!、と考えてしまった。なので、個室に備えつけられた電話が鳴っても、彼は受話器を取ることもできなかったのだ。

 さて、本日、時間をおいて、夫が神父Aに電話したら、久しぶりにつながった。でも、それはあまりにも哀しい会話だった。電話口の彼は、本当に言葉少なく、チカラもなく、ただ、『あまりにも長い・・・・』というだけだった。それでも、縛られていたことについて、夫が質問したら、彼は

「話すと長くなってしまう・・・。もう疲れた。歩行器をあてがわされ、それに見を任せ、ただ院内を歩くだけの生活なんだ・・・・」と本当に弱弱しい声で、一つ一つの言葉をゆっくりと、それでいて搾り出すように話していた・・・・。

 本当に 彼が自殺未遂をしたのかどうかわからない。とはいえ、キリスト教では、自殺は罪=地獄へ行く・・・、と定義されている。そして、彼は神父だ。でも、どうみても、また彼自身が発する信号を感じるだけでも、自殺云々のことではなく、彼の置かれている現状こそが“究極の煉獄”でしかないように感じられてならない。

 誰もが迎える老い・・・・。私もいつかこの時を迎える・・・・。


 神父Aと夫の会話を聞いているうちに、本当にどうしようもない“やりきれない”感覚に襲われ、胸が張り裂けそうになった。今の時点で、神父Aは果たしてまだ神の存在を信じているのだろうか?、と疑問を持つのがやっとだった。


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