ゼロの視点
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日本里帰り中、母が父の膨大な書籍を処分していた。なかなか捨てられずにずうっと取ってあったのだが、とはいえ、あまりにも専門的なものばかりで、私も、母もチンプンカンプン。結局、父の死後、大切に保管されていたとはいえ、誰にも読まれることなく、とうとう廃棄処分、という運命をたどった父の本。
専門的ということ以上に、この分野は研究が日々進化するので、さすがに30年以上も前の本は、古本屋もいらないと言う(汗)。廃品回収に出すにしても、表紙と中身を分離させておかないと持っていってくれないとのことだった。ゆえに、母は、父の蔵書の一冊一冊の表紙をもぎ取る、という作業をしていた。
朝っぱらから、紙をヒキチギル音を耳にして庭に出ていった夫。わが母が本をビリビリ引き裂いている姿を発見して、大ショック。まるで自分の心臓を引き千切られているように感じたらしい。とはいえ、「どうして本をやぶっているの?」なんて言葉を気安く、わが母には語り掛けられない夫。なぜなら彼は日本語が話せないのだから・・・・。
話し掛けることもできず、ずうっと母の行動を眺めるしかなかった夫は、ついにそこに山積みになっている本を手に取り出したらしい。日本語だけじゃなく、英語、ドイツ語の蔵書が多々あったので、夫なりにちょっと読んでみたらしいが、彼も、あまりにも専門的すぎてギブアップ。
それでもめげずに捨てられる前に、一冊でも本に触れていたかった夫は、まだパラパラとページをめくり続け、本の間に挟まった、古い白黒写真のネガを発見した。それをそっとポケットにしまって、私のところに持ってくる夫。
へーーえ、面白そうっ!!、と思って、そのネガを明るいとことで見てみると、どうやらわが両親の若かりし日々の姿だった。それをパリまで持ってきて、先日、やっと紙焼きになって手元にやってきた。
1955年、父35歳、母23歳という時のもの。まだ、私の存在なんて、これっぽっちも彼らは考えていなかった頃のことだろう。そして、この写真を見つけたときの私は、まだ35歳だったので、ちょうど写真の父と同じ年齢になってしまったというわけだ。
同時に、日本旅行中の写真も頼んでおいたので、それらを見ていると、35歳の父の顔と、旅行中35歳だった私の顔が、角度によっては薄気味悪いくらい似ているのを発見。おもしろくなったので、父の写真をカラーコピーして、それにちょっとサインペンでメイクして、髪の毛を付け足してみたら、あら、これって私?!?!?!。
そのくらい、いつも鏡の中で見ている自分のツラと、基本的に同じ部品が同じような骨格に配置されている父の顔をメイクするには、なんの支障もなかったわけだ。
しかし、だ・・・・。35歳の父と、今の自分の顔を見比べているというバーチャルな“にらめっこ”をしているうちに、気分的に負けてきた。なんでかわからぬが、負けた。ゆえに非常に悔しい。どうも、父のほうが、35歳の時点で自信があるように感じてならないのが、癪に障る(笑)。
別に父を超えたいとは思わないが、36歳になった今、もっと真面目に人生を、フランスで再構築する方法を考えていきたいと、マジで思ってしまった。娘に化粧を施され、ニューハーフになってしまった35歳の父からの、無言の警告なのかな・・・、とも思った。
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