ゼロの視点
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| 2003年07月21日(月) |
ばいばい、そして、またいつか!! |
1998年から断続的にフランスに留学していたY嬢とランチ。また、いつものように夏の間だけ日本へ戻って、フランスへ戻ってくるものとばかり思っていたら、フランス完全撤退して日本へ帰国、ということを知りビックリ。そんなわけで、急遽時間を作り、一緒にランチして色々と語り合ってみた。
3歳年上のY嬢と私は、育った環境も違うし、性格も全然違う。恐らく日本に住んでいたら知り合いになることなどなかなかなかっただろうと思う。が、おもしろいことに、フランスでその機会を得て、たまに会ったり(1年に一度)していた。
おまけにY嬢は、パリが嫌いで、フランスの地方で暮らしていたので、本当に会う機会というのが限られていた。自腹で 留学してまでフランス語の勉強を頑張るY嬢に対して、ただフランス人に知り合っちゃったからテキトーにこっちに住んじゃったという私とは、もうここでかなりの違いがある。
義務教育時代のすごし方も全然違う。Y嬢はバリバリに運動部で活躍し、苦しい練習に耐え、大会に出場し、勝ち進んだりしているタイプ。それに比べ、私は・・・・・・・、以下自粛(汗)。
奇妙な縁で彼女と知り合った時、彼女の“頑張り”というものに戸惑いを感じたほどだ。こういう人が実際にいるのか?!?!?!、というような・・・。協調性もあるし、優しすぎるほど優しいし、“輪”を大切にする彼女だった。それに対し、私は・・・・・・・・、以下自粛。
“永遠のモラトリアム人間”(要するにグータラでエゴイスト)みたいな友人が多かった私(類は友を呼ぶ)にとっては、かなり強烈な出会いでもあった。だからきっと彼女のことが気になったのかもしれない。
そんなY嬢は一時期酷く恋愛問題で傷ついたりしていた。要するにアイデンティティクライシス。当時付き合っていた相手が、そりゃ一筋縄でいかないタイプだったのは、私もその彼を知っているのでよくわかっていた。そして、彼女が精神的にどん底だった時、私は手紙を送ってみた。ある意味では、彼女がそれまでの人生で“よしとしてやってきたこと”を根底から覆す内容だったと思う。また、その手紙を読んで、彼女は“ああ、ゼロのやろう、キツすぎる・・・”と思ったことだろう。
そして、Y嬢の帰国直前に今回久しぶりに一緒に色々と語り合ってみた、というわけ、だ。彼女は今では流暢にフランス語を話し、言いたいこともなんでもフランス語でどんどん表現している。頑張って真面目に勉強した成果だ。わたしゃ、こんなこと出来ないので、本当にスゴイと思った。そして、ツライ時期を越えて知り合った彼の待つ日本へ戻っていく。本当に、強い女性だと思った。またそんなY嬢を見ていて、もっともっと幸せになってほしいと思った。
試験も終え、Y嬢はもうちょっとフランスの各地でブラブラしたあと、自分の誕生日である7月31日の飛行機で日本へ戻っていく。度重なる局面を乗り越えてきた彼女の顔は本当に清々しかった。また、そんな彼女の顔をみているうちに、私も自分の局面(仕事)を乗り越えてみせよう!!と、思った。
Y嬢は日本へ戻るとはいえ、私の実家からは遥か彼方。また、彼女は彼の都合により、もしかしたらもっともっと遠い国へ行く可能性があるゆえ、次回会うことが可能なのかさへわからない。一期一会とはよくいったモノだ。また、予想外の人との出会いというものの、醍醐味とありがたさというのをしみじみと感じたゼロでした。
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