ゼロの視点
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2003年08月24日(日) 色々なタイプの人間

 久々に丸一日、完全に仕事を休んで、シャンパーニュ地方へ。知人Tの妻Fのバースデーパーティーに出席。朝、東駅から電車にのり、約1時間のところへ。初秋のような、からりとした晴天の中、TGVではない列車での旅というのも、なかなか乙なものだ。

 予定の列車ギリギリに東駅に到着した私たちは、切符を買う時間もないまま列車に乗り込み、いざ目的駅に到着すると、係員も誰もいないので、見事にキセルに成功。ああ、タダで旅しちまったぜ。ちゃんと払うつもりで、車内でも、係員を探したのだが、見つからなかった・・・、というわけ。

 パーティー会場=Fの別荘に到着すると、まだ準備の真っ最中。駅に迎えにきてくれた夫のTは、準備を手伝うのが面倒くさいので、まだまだクルマでダラダラしていたいと申す(笑)。実に、我が夫も言いそうな言葉だ。家の中に入ると、妻Fが彼女にそっくりの父Jと一緒にいる。その“そっくりさん”度合いの激しさに、腹の中で大爆笑してしまう。もし彼女の髪型をそのままカツラにして、つるっぱげの父Jに被せてみたら、もう、見分けがつかないだろう・・・・。

 実は、F、バリバリのトロツキスト。それでいて夫のTは、選挙の際はシラクに投票するという、政治に関しては、まったくベクトルが正反対の夫婦。そして、本日は、妻Fの誕生会ゆえ、ほとんどの招待客がトロツキストになる。レーニンでも、スターリンでもない、トロツキー・・・、ま、その辺のところを間違えると、ちょっと大変なことになる。おまけに、タダ単に、左派(ゴーシュ)と言う事は避けたほうがいいのは自明。アルレット某女史の名前は、彼らの前では、ただのアホなので、これも避けることが懸命らしい。

 爽やかに晴れ渡る秋の空の下、続々と集まるトロツキスト。第二次世界大戦中のフランス映画によくあるような風景の中で、決して表立って行動しない同士が密かに集まっているようにも見える、この光景は、戦時中のレジスタンスの強力な人脈のシーンを髣髴させる。よく映画で、逃げ惑う人間を、どこからともなく、レジスタンスの人々が集まり、食料を提供したりシーンがたくさん映画の中で見受けられるが、それに近いものをふと感じてしまった。

 政治の傾向の云々は置いておいても、このトロツキスト達の、いつか社会を変えるっ!!、という強い信念と、ドクマのやりとりは、私にとっては、本当にシュールレアリズムそのもの。白昼夢とも言える。

 とはいえ、みんな本当にいい人たちだったので、楽しく過ごすことができた。ま、こうして、普段なかなかコンタクトを取らない人たちと過ごすことは、色々な意味で有意義なことだなと思った。

 帰りは、パリに戻る夫婦のクルマに乗せてもらって、そのまま次のランデブーの場所まで。夜の9時半に、友人画家Cと19区の中華レストランで待ち合わせ。Cは、今の今まで一度も結婚したことがないが、とうとう激しくとある女性に恋してしまい、結婚をしようかどうか迷っている。とはいえ、なかなか本音を交えて相談できる相手がいず、悶々としていたところで、私たちのことを思い出したのか、こうして会うことになった。

 Cは、夫の昔からの友人。類は友を呼ぶで、夫の性格に輪をかけた、現実離れした性格のC。日中のトロツキストの人たちも、アル意味現実離れしているとも言えるが、夜は夜で、まったく違った意味での現実離れの人間に会うと、まるで地球の端から端まで旅したような感覚に襲われる(笑)。

 Cの相手は、ほとんどの人がヤメテオケっ!!、と言いたい衝動に駆られる女性。本当に結婚したら、かなりのリスクがCに生じる。しかし、それでも愛してしまったんだから、そう簡単に諦められないのが人間の性。そしてそこで深く苦悩しているC、というわけだ。

 聖マリアが一日に何度も見えるというCの絵は、シュールレアリズムそのもの。レストランの後、久々に足を運んだCのアトリエ。決して言葉では語ることが不可能な彼の絵に囲まれ、延々と3人と話し込んでいった・・・・。

 午前3時ごろ、サンマルタン運河沿いを歩き、帰路につく間、何が現実で、夢なのか、もうサッパリわからなくなってきて、笑いがとまらなくなってしまった。そんな私が、現在書いているのは、日本の庭園について。この原稿が妙に具体的な説明を省いて、かなり観念的乃至は、哲学的になってしまったのは言うまでもない・・・・・。
 


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