ゼロの視点
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2003年10月29日(水) エロティズム

De l'érotisme, il est possible de dire qu'il est approbation de la vie jusque dans la mort.-----Georges BATAILLE, "L'EROTISME"------


 エロティズムにおいて、それは死に至るまでの“生の高揚”と言うことができるかもしれない。(ジョルジュ・バタイユ『エロチスム』)。





本日の午後、担当編集者の家に出向いて、今後の打ち合わせをしてきた。かなりの編集方針の変更など、色々あったが、ある意味自分にとっての予想外のことが発生すると、妙な生への高揚を感じてならない自分を再発見する。

 ともすると、ナンパ男の原理とも似ているのかもしれない。相手がどうなるかわからないからこそ面白い。そして、それを通して、自分がどうなるかわからないから、もっと面白い。

 スリリングなゲーム。しかし、一度でもこの面白さを知ると、もうやめられない。一種の麻薬ともいえる。






恍惚感・・・・・・。







 “生”の何もかもひっくるめて、私はそこにエロティズムを発見していきたい、という強い願望がある。生活の安定を求めながらも、安定しきるととたんに死人ないしは、囚人のようになってしまう自分。本当にやっかいな性格だ(笑)。


 状況は考えようによってはシビアかもしれないが、この状況をどうやって乗り越えていこう・・・・、と考えるだけでワクワクしてくる。それは、性的エクスタシーを超越するほどだ。それらすべてを含めての、私にとってのエロチシズム。



ディオニソス(バッカス)しかり。
そして、タナトスしかり。





さーーて、サン=サーンスの歌劇『サムソンとデリラ』の“バッカナール”と、交響詩『死の舞踏』でも聴こうかな。この2曲は、端的に言語を超越したエクスタジーを見事に表現していると思っている。ああ、なんという“生の高揚”だろうかっ!!。

 この2曲を度々聴くたびに、現在の一瞬、一瞬がすべてであり、その瞬間を完全燃焼したいという根源的欲求を呼び覚ませてくれる。



 自分ではサン=サーンスを特別好きだと思ったことはなかったが、とはいえ、最近毎日無意識のうちで好んで弾いているピアノでひいている曲は、サン=サーンスの『動物の謝肉祭』内の“水族館”だったりする。私は、この曲の繊細さが好きでたまらない。

 イライラしている時は、この曲の一音、一音の繊細な響きをうまく表現できなくなる。またそれ程、微妙な音。またそれほど、頭では認識できないほど、身体の奥底から発するシグナルに敏感に反応する曲だともいえる。

 『死の舞踏』に至っては、もう圧巻だ。あくまで私の解釈でしかないが、この曲は、人間が生まれ落ちた瞬間から、死の瞬間までを見事に表現していると思えてならない私。言語、思考を超越したすざまじいまでのサン=サーンスの表現力。そこには、エロティズムをはじめ、あらゆる“生=性”の高揚感と黄昏が表現されているのだ。

 今、しみじみ実感する・・・・・・・・。私の波長とサン=サーンスは妙に合致するのだ、ということ。そして、形容のつかないエクスタシーが私に再び訪れ始めている、ということ。

 嬉しい。


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