ゼロの視点
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2009年02月05日(木) 自覚なし


 夫がおしゃべりなせいで、色々な仏人の友人・知人に会うたびに、「ゼロが書いた本が出版されたんだってねぇ、でどんな内容?」と聞いてくる。本がでたところまで語るなら、全部てきとうに話しておいてくれよ、夫・・・、と思うのだが、みなが興味津々に尋ねてくるから、これが非常に面倒くさい。

 できることなら、こんなこと話したくないのだから、私・・・・。でも、てきとうにはぐらかしても、なんとかして本の内容を知ろうとしてくるツワモノ相手に、私は「フランス人について」と答える。すると、もっともっと知りたがってくるのが彼ら。

 ここで、「一般的に日本人とフランス人を比較したうえでのことで」と、前置きをきちんと言うのだが、そのあとに「日本人よりフランス人のほうがケチなような気がしたので・・・」と、長々と説明しようとすると、もうこの一文だけした耳に入らなかったフランス人連中・・・・。人の話なんぞまったく聞かずに、自論を繰り広げ私を言いくるめようとしてくるから、これまた非常に面倒くさい・・・・。

 それも・・・・《自分たちは、全然ケチじゃない!》と、私に説得にかかってくるのだから・・・・。熱くなって説得してくるならまだいいが、ぶち切れる人らもいるから厄介だ。こういう人を見て内心、死ぬほどおかしくてたまらず、いつかどこかで発表しよう♪、なんて思っているのだが、その場で笑うと面倒くさいことになるので、マジメなフリして、事態の収拾にあたるのが常。

 いずれにせよ、言葉などは相対的なものだから、あなたにとってケチと思うことと、私にとってケチと思うことが違って当たり前。元来、哲学的だとか、知的だとか、議論好きだなどと言われて喜んでいるあなた方フランス人というものがあるのだとすれば、こういった機会をシャレとして受け取り、色々と議論してもいいはずだ、と私がバッサリと切り返すと、結構彼らは一瞬おとなしくなるから面白い。

 あえてそこでムキになるということは、思い当たることがあるのか?、と矢継ぎ早に攻めていくと、一瞬おとなしくなったフランス人がまた熱くなりだす。ま、私も面倒くさいといいながら、相手をいじって遊んでいるだけともいえるのだが・・・・。

 とにかく、ケチといわれると、まるで自分が貧乏といわれたかのように取り違える人が多いのには、驚いた。おまけに、私の友人・知人レベルのフランス人において、その90%以上の人が、自分のことをケチだなんてこれっぽっちも考えたことがないということは、こういう問答を繰り返しているうちに、よ〜くわかった。

 この議論を円満に終わらせるために、いつも私は《なんでも言いなりに、金を払わないあなたがたフランス人のほうが一枚も二枚も上手で、アタマがいいのよ〜、おほほほほ》と、誉めて誉めて誉めまくる。すると彼らは、本当に嬉しそうに納得して、違う話題に移って私を解放してくれるのだ。

 さすが、《うちの豚児が》、《私の子供はたいしたことなくて》などと、人前では謙遜するのをよしとしてきた、一般的日本人とは違い、身内だけだろうが、人前だろうが、誉めあって馴れ合っているフランス人ら相手には、大げさなくらい誉めておけば、たいていのことは大丈夫なのかもしれない。

 ちなみに、うちのくそばばあこと、ブルターニュの地方都市に君臨している姑は、自分の息子をいとおしそうな目でみつめ、その全身をなめまくりそうな勢いで、《ああ、私の生きた美しい彫刻よ♪》などとよく叫んでいる・・・・・。

 この言葉をふいに耳にするたびに、大爆笑せざるを得ない私だが、こんなことを大真面目にやっている人がいるのだと思うと、ある意味ホラー映画にしか思えないセロでした。彫刻が動き出したら、怖いじゃねーか、ばばあ!。



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