ゼロの視点
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ふと時間ができたので、夫とふたりで映画でもみるか・・・、ということになり、下調べもほとんどせず、ただ勘だけで選らんでみた映画《La journée de la jupe/仏・Jean-Paul Lilienfeld監督・2008》を、観に行ってみた。
直感に従ってみて大正解♪、といわけで最後までまったく飽きることなく鑑賞。昨年のカンヌで、パルムドール賞を獲得した映画《Entre les murs/仏・Laurent Cantet監督・2008》で扱われたテーマを、もっともっとむき出しにしていったような作品。
じゃ、いったい何をむき出しにしていったか?、といえば、それは、様々な人種が集まるクラスで、国語であるフランス語の授業すらまともに進めていくことが難しい現状、である。学級崩壊とか、日本語でいえばピンときていただけるだろうか?。
学級崩壊どころか、ま、フランスという国自体が、移民問題でどうにかなっているのが現状なので、笑うに笑えない問題。先日も、住民投票で、マヨット島(Mayotte)が、2011年から正式にフランスの海外県になることが採決されたばかり。で、またまたというか、もちろんというか、この島の98%はイスラム教徒。
フランス語でいうところの、ライシテ(Laïcité)という言葉は、政教分離。そしてフランスという国は、あらゆる宗教が存在しようとも、公立の学校()ではあらゆる宗教から中立であることが基本とされているのだが、実際には、この理念がかなり崩壊してきているのだ。
そして、これらのテーマを扱ったのが、前述の二つの映画。とはいえ、《Entre les murs》のほうは、ソーシャリスト、つまりはインテリ左派が喜びそうな、ある意味“いいこちゃん”的な仕上がりをしているのに対し、《La journée de la jupe》は、マスコミの自主規制や、人権屋の圧力に屈しながらも、日々蓄積させてきた鬱憤を晴らせかねていた、保守派をも喜ばせる仕上がりになっているのだ。
ゆえに・・・・・・、様々なところから圧力がかかってきているのは、多分に想像できる作品なのだ。当初はARTEという、仏独共同の国営放送局が、テレビドラマとして作成した作品だったのだが、最終的に劇場公開されることになったのだ。
そして、ARTE側は劇場公開される直前に、この作品をテレビで放映したのだが、これを理由に、《すでにテレビで放映された作品を、あらためて映画館で有料で公開する必要ないうえに、収益が見込めない》との理由で、UGCやGaumontなどの大手映画館が上映を拒否。MK2チェーンのうち2館が、それでもがんばってこの映画を上映しているが、あとはインディペンデント系映画館で上映されるのみ。
さて、この映画の主演で、国語の先生を演じるのがイザベル・アジャーニ。色々とお直した感じのする“お顔”と、脂肪吸引ぐらい強引な手段を使わない限り、絶対に落とせない感じでデップリと彼女の身体全体に、まんべんなくついてしまったお肉をブルブルいわせながらも、なかなか説得力のある演技で映画をひっぱっていく彼女。
おまけに彼女の実の父親がアルジェリア人、となれば、これだけでものすごい説得力があるわけだ。実際に彼女がアラブ系ということで、アラブ語を話すシーンがこの映画にあるのだが、ここでの生徒たちの反応もまた、それなりに興味深い。
この映画のメッセージは、何人であろうとも、どんなに苦労してフランスに移住して現在にたっているとしても、フランスの理念、自由、平等、博愛の名のもとに、あらゆる宗教の呪縛から逃れ、中立でいることの大切さと難しさ、ということ凝縮されている。
国語の先生さえも、アラブ人であり、とはいえきちんと、政教分離に徹しているからこそ、フランスが誇る大作家・モリエールの作品を教え続けるという、レジスタンス、なおかつ、政教分離政策の殉教者(←これだけでも、じゅうぶん矛盾した表現)としてのイザベル・アジャーニ。
この映画のタイトルを、日本語で直訳するとすれば“スカートの日”となるのだが、なぜスカートなのか・・・、といえば、スカートをはいて外出するとなると、もうそれだけで売春婦扱いされるご時勢になっている、ということに対してのイロニー&訴えでしかない。
女性がスカートではなくパンツスーツで堂々と闊歩できる社会になるまでに、何十年も要したとはいえ、その結果、スカートを履くと今度は、オトコを誘っている尻軽女として見下す社会になってきている恐ろしさ。なおかつ、そういった過剰な反応しやすいのが、奇しくもイスラム系の人だったりするわけである・・・・・。
補足事項として、この映画には、私の敬愛する俳優であるJackie Berroyer殿が出演しておりま〜す♪。
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