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夫婦愛に思うこと - 2002年05月12日(日) 木にはいろんな形状がある。 杉のように、一本の木がなんの躊躇いもなく まっすぐな一本として 天までのびているものもあれば 太い幹を構えて 天に向かって大きく手を広げているものもある。 そうかとおもえば まるで二本の樹が並んで生えているように見えるけれども 根っこでくっついていたり 逆に二本の樹が根っこや幹をぐるぐると絡めあい 一本の樹になっているもの。 様々だ。 一見 二本の樹に見えるようで 実は根っこの部分で繋がっているというのは まるで夫婦のようで 妻と夫がまるでお互い同士無関心に思えたとしても 大抵 根っこの部分では絡まりあっているものだ。 だから片方が枯れると、もう片方も枯れる。 片方が枯れることを、もう片方は許さず いざとなると根っこが一つなので強い繋がりをみせる。 そうとは気づかず、人は土の上に出ている 目に見える部分でしか 判断しようとしない。 そこには二本の樹が存在しているのだと思い込む。 「浮気は男の甲斐性」などと 平気で口にできる時代に生きた商売人だった父は 女遊びを繰り返し 母を悩ませた。 幼かった姉や私は ときおり父と母がそのことで 口論をしていたことを知ってはいたが まるで別世界のことのように感じていたし 父の外泊の度に買ってきてくれるお土産に 心を躍らせていた。 私は父が好きだったし 今でも父が好きなことには変わりない。 父が会社をたたみ 私たち姉妹が成長したころには 父と母はいたわりあう ごく普通の 何処にでもある穏やかな夫婦に変わっていた。 父が重い病気に苦しんだときも 母はいたわり 誰も真似ができないほど献身的な 介護をしつづけた。 今でも父と母は 仲のよい穏やかな関係を保っている。 「愛する」ということはナマハンカなことではないとおもうし たとえ何があったにせよ消えてしまうものではない。 まるで愛を失ってしまったように見えたとしても そんなことはない 心のずっとずっと底の部分で埋み火のように燻っているものだ。 いつか 新しい風を入れてやれば やがてまた 勢いはなくとも燃え続けるものだと思う。 私はそう思っている。 母が父を取り戻したことと 母が父を愛し続けたことに敬意を示して。 母の日に寄せて。 ...
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