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蛍 - 2002年06月02日(日) 10年前、ある男性と夜、車を走らせていると 川沿いの茂みに小さく光るものがまばらに浮游していた。 それが何だと理解するまでに、かなりの時間を必要とした。 あなたがたは蛍をみたことがあるでしょうか。 私が初めてみたのは、その10年前の夜。 それをホタルとはわからずに、奇妙な光に首を傾げて 数年後に蛍狩りに出かけたときに それが初めて蛍の放つ光であると認識したのだった。 意外にも、実家からしばらく車で奥に入り込んだところに いまだ蛍が生息していて、 私は茶道のお稽古が終わる夜11時頃、車で足をのばしては この季節になると一人で蛍を見に出かけたものだった。 2年前の3月。 父は急性骨髄性白血病の為、半年以上にもわたる闘病生活を終え 病院を退院してきた。 長年に渡って鍛えていた体や筋肉は、闘病の激しさのために すっかりとそげ落ち、自分の体の重みすら支えられないほど細い足に変わり果てていた。 いつ再発するともわからぬ爆弾のようなものを抱えたまま 退院してきた父に、是非一度、その蛍の美しさを見せてあげたいと 母と一緒に父を担ぎ上げ、ようやく車に乗せると まるで少しでも衝撃を与えれば壊れてしまう硝子細工を扱うように ゆっくりと車を走らせた。 河原に到着すると、辺りは真っ暗で、先に来ていた人たちは すれ違うように帰っていった。 歩けない父は車の中で窓を開けて、近くを飛び交う蛍の光を なにも話さずに静かにただ眺めていた。 そう多くない数の蛍は、まばらに飛び交い、光っては弱まり また 光っては弱まりしながら ときおり草叢で休みながらも その存在を現していた。 川の流れる音が聞こえる。 どこかで螻蛄の鳴く声も聞こえる。 そして目に見えるのは暗闇に飛び交う、微かな微かな、光だけだった。 夜の肌寒さが、まだ少し体に染みる。 けれども父は、なにか見損なってはいけないかのように 静かにじっと そしてなにだか貪欲なまでに眺め続けていた。 しばらくすると「よし、もういい」とキッパリとした声で父。 「また、来年も来ればいいね」と母。 「うん」、と小さく頷いた父は少し泣いていたのだろうか。 父と母と私は、暗闇の車の中で あるのだか、ないのだか、わからない心許無い未来を 言葉に変えてしまったことで 気休めのような悲しさを一瞬のうちに感じとってしまっていた。 蛍の季節になるとこのことを思いだす。 父は覚えているのかどうだか。 蛍は死者の霊魂とする伝説を古来文学に多く見かける。 ぼうっと光り、浮游するさまは、まさに彷徨う霊魂のようにみえなくもない。 いつの日かまた 蛍の頃 わたくしが思い起す思い出が また別の感情を持って 甦ってくるのだろうかと そう思うと どうしようもなく 切ない。 ...
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