流れる水の中に...雨音

 

 

家におさまる - 2003年06月11日(水)


いい加減 嫌になってくる。


毎日を無駄にやり過ごしている気がする。
適当にお稽古事に通い 
ひとりでふらっと出かけることもあるけれど
だけどやっぱり 私は毎日 
なんとかして 時間が流れるのを待っているように思う。

「家におさまってしまうとは 思わなかった」と
いう友だちの言葉に
そんなことないわ と思っていたけど
家に居続けること 何も生み出さないことに
疑問を感じ続けている。
私に何かができるわけじゃあ ないけれど
四苦八苦と 足掻くチャンスも場所も
あればよかったなと 思ったりする。

私の以前の上司の 80歳の奥様が
「専業主婦は私で最後ね」と言っていたけど
やっぱり時代は 専業主婦でいられるほど
退屈でもなくなっているし
専業主婦でいられることの優越性なんてのも無くなってる。

アメリカでは奥様が 仕事を持つか もしくは
某かのボランティア活動をしていなければ
馬鹿にされると その上司は言ってた。
日本だって もうそんな時代なのかもしれない。


何だって手に入るし 家に居ながらでも
何だってできる時代だから
時間を潰すのには苦労しない。
テレビのように一方通行にしか情報を受けられないのじゃ無くて
今はなんだって双方向にやり取りできる。

その所為で まるで自分が
何かをしているかのように錯覚したり
充実しているように思い込んだり

そういう仮想で膨らんだ生活で
現実生活を誤魔化してしまいたくないんだ。


強く握りすぎた手に刻まれる皺のように
血の流れた傷口のように
本当の物だけで
私の人生を築いてゆきたい。








...




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