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白桃とお墓参り。 - 2003年07月15日(火) キッチンの一角で白桃が香り高く鎮座している。 夏のお印に と頂戴したものだ。 私は箱の蓋を開けて 風通しよくしてやり そして束の間の夏の瑞々しい香りを楽しんでいる。 父は白桃が好きで 夏になるといつも 冷蔵庫にふたつ みっつ 桃を冷やしていたのを覚えている。 岡山は桃の産地であるから お墓参りの度に沢山 白桃を買って帰ってた。 私の父の生家は岡山で 今でも先祖代々の墓が 成羽にあるものだから 御盆の時期になると必ず お墓参りにつれていかれた。 車で高速にのり4時間ほど 車酔いしやすかった幼い私にとって お墓参りは 毎年恒例の拷問行事のようなものだった。 そこには私の祖父母までが眠っており おそらくそこに 両親も眠ることになるのだろうけれど お墓参りに行く度に父は 「道を覚えておいて貰わないといけない」といっていた。 ただでさえ 大阪から岡山へは遠い道のりであるし それだけでも足が遠のいてしまうのに 道をしらなければ尚更である。 私たちの住む阪神圏から 離れた田舎の地で 忘れられたかのように静かに眠ることが よほど父には淋しいことなのだろう。 3年前の夏。 ひさしぶりに両親とお墓参りに出かけた。 今では もう 私がドライバーだ。 瀬戸内三十三観音霊場である栖隆山龍泉寺の山の中腹にある 我がお墓の傍らで 大きな牡丹の花が 鮮やかに揺れてた。 山では蝉の鳴く声が 静かに響いていた。 太陽の鋭く照りつけるなか ここに両親も いつの日か 眠るのかとおもうと 心を込めてお掃除をし 水で浄めて 手を合わせた。 今年もどうか私にドライバーを と 母に頼まれている。 お墓参りのついでに 何処かで一泊 ゆっくりしましょうと。 4人姉妹の末っ子である私が どうやら お墓参り担当に任命されてしまったようである。 死んでしまうということは 全ての終わりである。 お墓というのは せめてもの慰めで その人が この世界に存在したんだよ っていう ちっちゃな標であって それ以上でもないし それ以下でもないし。 だけど私の祖父母も曾祖父母も そしてその先代も先代も先代も。 数珠つなぎのようにずっと此処におさまっていて そして此処から生み出されて 此処に帰ってゆくという。 そういう 拠り所のような場所はやっぱり 生きている私達にとっては必要なのだろうなと感じる。 此処にくればいつでもあえるから 私は淋しくないよ と思う。 きっと。いつか。 そこでずっと 待っていてくれるような気がするから。 ...
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