自分の中の明確な「歯軋り」と どう対岐するか。 - 2003年10月07日(火) 独白。 秋は深まって行くと言うのに。 私が穏やかでいられないのは 私は私自身のことを 客観的に ある種 自蔑的に見つめているから。 自分自身がどうであるか 他人から言われるまでもなくちゃんとわかってる。 明確な「違い」を突き付けられたとき (いや きっと無意識だろうけれど) 歯軋りに似た軋みを心に覚える。 それは自分では どうしようもない事実であるから 更に。 ジレンマ。 「納得」や「理解」や「自己肯定」はしたくない。 嘘つきにはなりたくはない。 穢れなく いや そのほうが狡猾であったりもする。 いや しかし。 気高い野良猫は今日もまた 人間から餌をもらう。 ...
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