流れる水の中に...雨音

 

 

無知の知 - 2003年10月19日(日)



金曜日に茶道裏千家淡交会の近畿地区大会に参加した。
そこで新しく準教授・茶名拝受および新規会員をあつめて
「つどい」というものが行われ、お家元のお話を賜るというもの。
御存知のように昨年暮れに鵬雲斎お家元が勇退なさり
若宗匠であった坐忘斎お家元が引き継がれたのであるけれども
そのことについて坐忘斎宗匠は「仮衣装」を着ているような思いだと
お話された。
それは宗匠がまだ「家元」として未完成であり
この肩書きを背負うにはまだ何かが足りないと
思い続けていることにあると仰られた。
そしてその仮衣装というものを大島紬に例えられて
大島紬というものは自分の体に馴染むのには20年はかかるといわれ
そして宗匠にとっての肩書きというものも
日々新しい事柄に出会い 一つ一つ経験しそれをしっかりと
受け止めて理解し吸収することによって
自分に馴染んでくるものなのだと そうお話された。


ソクラテスの言葉の中に「無知の知」というものがある。
真の知に至るには まず自分が無知であるということを
自覚せねばならないということだ。
誰でも経験していることだと思う。
何かを知れば知る程 自分は何も知らないと言うことに気がつく。

一つの物事に対して 人の数だけアプローチの違いがある。
ある人はAという面からアプローチし
またある人はBという面からアプローチする。
だから発展途中で まだCという面をしらなくても
恥ずかしくはないし これから学んで行けばいいのだと思う。
Aを知って全てを理解したつもりになるのは恐ろしいことだけど。

そうとはわかっているのだけど
あっちにもこっちにも 新しい事柄が発生してきて
毎日出会って 手をつけられずに放っておいていることが
沢山たまり過ぎて 恐ろしくなる。
本当にこれら全部を対処することができるのかどうか。


人の数だけ 知識の数もある。
それら総べて全うするのは「全知全能の神のみ」なのだろうけど
ああ 私がこれから進んで行きたいと思う道には
たった一つだけでも多く自分のものにしてしまいたいというもどかしさを 
いつ穏やかにさせることができるのだろう。







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