『陽の子雨の子』 豊島ミホ (講談社) - 2006年05月17日(水) <読者と一緒に成長していく作家・・・豊島ミホ> 豊島さんの作品はまだ全作読破していないのであるが、本作は作者の意欲作→今後の試金石的な作品と呼べそうだ。 作者本人のブログにて「ニート小説」とはしょられているが、そんな狭い括りでは表現できないと思う。 もちろん読む年代によって捉え方が違ってくるであろうが、私的には“自分探しの物語”であると捉えている。 というのは、誰しも登場人物の持っている希望や絶望感を少なからず抱えて生きているからに他ならない。 正直なところ、作者の現在の力量で言えばもっと無難な話を書いてしまえばよかったのでかもしれない。 もちろん『檸檬のころ』のような切なさを本作に求めようとしたらそれは酷であるのも確か。 作者はきっと現状に甘んじたくないのであろう。 試行錯誤を重ねて成長していくと信じ5年後・10年後を見据えたいと思う。 10年後に過去の作者を振り返ってみて、初期の代表作『檸檬のころ』とともに、ターニングポイントとなった作品であると本作は必ず取り上げられそうだ。 誰にも打ち明けたことがないのだけれど、僕は雨が怖い。<中略>雨の降っている世界が怖いのだ。 端的に言えば、本作は装丁はかわいいんだけど、中身はひとすじなわではいかないレビューアー泣かせの作品である。 24歳の不思議な女性雪枝を取り巻く少年2人。 私立中学に通う14歳の夕陽と雪枝の家に住んでいる19歳の聡。 ほとんどこの2人の視点を通して語られている。 絶望感に苛まれた人生を過ごす雪枝と聡。 凄く暗い設定なのだが、豊島さんが描くとそうでもなく感じられるから不思議だ。 一方、私立の男子中学に通う夕陽。 その家族は夕陽自身思っているように“ファミリーな感じ”で、ほんとに絵に描いたような・申し分のない家族だ。 聡が4年前に家出をしてきて雪枝に拾われてずっと一緒に住んでいるのと対照的である。 思いがけない出会い(メルアド交換)で始まる不安と希望の間で揺れるひと夏の青春物語であるが、人生に冒険も必要である。 でもタイトルの『陽の子雨の子』って誰のことなんだろう? 私的には下記のように考えている。 類型的でない登場人物→雨の子(雪枝、聡) 類型的である登場人物→陽の子(夕陽、松田、清水) 敢えて“類型的”という言葉を使わせていただいているのは、決して雪枝や聡の生き方を否定したくないからである。 大多数の読者が雪枝と聡の寂しさを分かちあえ、本を閉じるはずだ。 肩が軽くなったような気がするのである。 ラストの夕陽の手紙や聡が水漏れ処理を行うシーンなどを通して、それぞれの“ひと夏の成長”を確認出来たのが嬉しい。 作者が雨の子たちを肯定して筆を置いている姿に、現在の豊島ミホの暖かいまなざしを垣間見たつもりである。 評価8点 この作品は私が主催している第5回新刊グランプリ!にエントリーしております。 本作を読まれた方、是非お気軽にご投票いただけたら嬉しく思います。(投票期間2006年8月31日迄) ...
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