『ひなた』 吉田修一 (光文社) - 2006年05月26日(金) “都会人の持つ空虚感”を的確に描写。 この作品は雑誌JJに連載されていたものを大幅改稿したもの。 やはり女性読者を強く意識して書かれたものだと容易に想像できる。 主な登場人物は大路浩一・桂子夫妻と浩一の弟である大路尚済と彼の恋人新堂レイの4人。 春・夏・秋・冬、4人それぞれの視点から描かれている。 ちょっと簡単に4人を説明すると・・・ 新堂レイは元ヤンキーであるが、大学でフランス語を習得しフランス本社の外資系有名ブランド“H”に就職。 その恋人、大路尚済はレイと同級生であるが一浪しているために大学4年生。 尚済の兄、浩一は中堅信用金庫に勤めている。 浩一の妻、桂子は出版社で編集の仕事をしていて帰りが遅くなることが多い。 物語は別居していた浩一夫婦が尚純と両親の家にて同居をはじめるところからスタートする。 あと浩一の友人・田辺もキーパーソン、どんな人物かは読んでからのお楽しみということで・・・ 本作は簡単に言うと、吉田作品の十八番である“都会人の持つ空虚感”を的確に描写している作品である。 特に考えさせられるのは“主婦のあり方” そして“人と人との距離感の取り方” 特にここでは大路桂子について語りたい。 凄く異性の私が共感出来る人物である。 女性の方が読まれたら逆かもしれないな。 でもやはり仕事をやめるにあたって、桂子もかなり葛藤していたんですよね。 特に男性読者の私としたら桂子の言動って本当に気になるのである。 桂子が遠野に魅かれているところがとっても人間らしいと言うか、ちょっと誤解を招く言い方かもしれないが、可愛げのある女性として強く認識出来るのである。 でもやはり桂子に専業主婦は似合ってないような気がする。 私の出した結論です。 こんな小説連載したら、本当に早く結婚したくなくなるよな(笑) 逆に桂子の夫、浩一の存在がやはりみじめなんだろうか。 会えば会うほど遠野という男が嫌いになっていく。いったいどこまで嫌いになれば、私はこの男に会いたくないと思えるのだろうか。会いたいのを必死に我慢するのと、会いたくなくなるまで相手と会い続けるのでは、いったいどちらが、夫や家族をより裏切っていることになるのだろうか。 桂子は家庭に入ってからも葛藤するのである。 あと、この物語においてはいくつか問題点を取り上げたい。 まずは大路兄弟の浩一と尚済が血がつながってないと言う点。 読むにあたってかなりのウェートを占める大きなポイントなんだが、読者の先入観を覆させられるような展開が待ち受けています。 展開というかひとつのドラマですね。少し泣ける話なのでお楽しみに。 そして田辺さん。こっちは日常茶飯事的によくありがちなエピソードなんだけど、どうしても浩一の人の良さと桂子の引け目(何に対してかは読んで気づいてほしい)がやけに目立ってますね。 やはり浩一は没個性的な人間として描かれすぎている感もなきにしもあらず。 単行本化にあたりどの程度改稿されてるのかわからないが、少なくとも独身の女性が読まれたら結婚というものに対してどうなんだろう、少なからず後ろ向きに感じても致し方ないかな。 独身時代=ひなたという図式も当てはまるような気がする。 もちろん、世の男性って作中の浩一みたいなどちらかと言えばおっとりした性格の男ばかりじゃないので、主婦の方が読まれたら桂子以上に私って愛されているのかしらと思うことでしょう。 本作は少し現実における危機感を持たせるリアルな小説です。 リアルなんですが、そこが吉田修一。 たとえ不倫を描こうが、決してドロドロじゃなくって読者はそれを許容してしまう。 言い換えれば、“常に周りの人との距離感を考えて生きていかなければならないんだ。だけど、常にリラックスして!” 吉田修一の凄さってそういうさりげなさなんだなと再認識した。 吉田作品のストーリーに陶酔し本を読み終えた瞬間、私たちはバトンを引き継ぐ。 兄弟、夫婦、恋人、親子。 私たちの身の回りの大切な人たち。 少しは身近に感じられるようになったのであろうか?それとも・・・ 人生も吉田作品のように“心地よく”生きたいものである。 評価8点 この作品は私が主催している第5回新刊グランプリ!にエントリーしております。 本作を読まれた方、是非お気軽にご投票いただけたら嬉しく思います。(投票期間2006年8月31日迄) ...
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