窓を開けても、うっそうとした栗林に邪魔されて、 光など入ってこない。 マザー・テレサが「暗いと不平を言うよりも…」と言うまでもなく、 暗ければ、電気をつければいいのだが、 5歳児の身の丈では、電灯の紐に手が届かない。 誰かに頼もうにも、頼める人がいない。
せいぜい6畳の部屋だろうが、何も家具がないことと、 5歳児の身の丈のせいで、尋常でなく広く感じる。
「これで遊んでいて頂戴」 そう言って手渡されたのは、 何やら反故にしたような書類の裏紙と、 なぜか緑と紫のサインペン、 それに、その家の「高校生のおにいちゃん」が 定期購読しているらしいマンガ雑誌の バックナンバーだった。 与えられるおやつはいつも、 糖衣した豆とか、五家宝とか、海苔巻あられとか、 5歳児にはいまひとつアピールしない、地味な顔ぶれだった。 おまけに飲み物がないので、少し食べにくい。
時々女将さんが、 「お風呂に入ろう」と声をかけてくれた。 昼間の大浴場は明るくて快適で、 近所の商店や企業の名前が入った鏡とか、 黄色い洗面器とかが、目に楽しい。 何より、何時間ぶりかで「光」を感じたのが嬉しい。 女将さんに背中を流してもらうと、 石鹸のにおいがなぜか眠気を誘った。
仕事を終えた祖母が、私を半分無理やり起こし、 家路につくのは、いつも5時ぐらいだったか。 バス亭まで大人の足で5分以上、 さらにバス停四つ分と、そこそこ距離のある我が家まで、 “しまつ屋”の祖母に手を引かれ、帰っていったものだ。 「どうしてバスに乗らないの」「バスはお金取られるよ」 どうしようもない正論だ。
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上記の文章は、中勘助の「銀の匙」ではなくて(誰が間違えるかっ) ユリ・ノキマリの「二色のペン」です。 時代設定は、1970年代前半とお考えください。 主人公は、ちょっとシャイな5歳の女の子です。 ……つーか、ほぼ自分の体験談です。 幼時体験にありがちですが、「今にして思えば」ということも まるで当時悟っていたかのように書いてあります。 若干の記憶違いもあるかとは思いますが、 このことについては、 母も祖母もほとんど話題にはしなかったので、 大人から植えつけられた記憶でないことだけは確かです。
祖母は当時、60をちょっと出たくらいでした。 家から中途半端な距離にある小さな旅館で、 なぜか短時間のアルバイトをしていました。 今にして思うと、知人の手伝い程度だったのだと思います。 たまたまその旅館の近くに私の通う幼稚園があったため、 私も祖母のバイト期間中、 経営者の居宅の空き部屋で過ごしていました。
おとなしくて手のかからない子、と さまざまな大人たちに言われる子供でした。 今にして思うと、あの少々特殊な体験が、 私のオタク気質育成に一役買ったとしか思えません。
私は二色だけのペンで、かなりさまざまな絵を描きました。 自分の頭の中だけに、表現できない何百もの色彩があって、 そのすべてを紫か緑か、 どちらかに割り振って描いていたのでした。
不思議なのですが、この出来事は自分にとって 「よくも悪くもない思い出」です。
父も母も祖父も働きに出ていたので、 もともと祖母が面倒を見ていてくれましたが、 その祖母もバイトとなれば、 私の面倒を見る人物が家に不在になります。 そこまでしてバイトしてたってことは、 あの頃うちは結構ビンボーしてたんだろうなと 想像に難くないのですが、 子供だから、そういう認識もないし、 その旅館に連れていかれることを、 楽しいとも嫌だとも思っていなかったことを 今も思い出します。 地味なおやつや、読み飽きたまんがは嫌だったけれど、 女将さんとお風呂に入ったり、栗拾いをしたりしたのは そこそこよい思い出です。
その旅館のあった場所ですが、 10年くらい前には既にマンションが建っていました。
本当は、「オトナの事情」というタイトルで、 全く別のことを書こうと思ったのですが、 今日は何となくこれで終わります。
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