土曜日生まれは腰痛持ち

2006年11月03日(金) ババァ記念日

初めて「おばちゃん」と呼ばれたのは、16歳のときでした。
それも、親戚でも何でもない、
高校の数学の先生のお孫さん(当時4、5歳)に。
つーか、私はその先生に教わってすらいなかったのだけど
とはいえ、呼び方が好意的だったし、
かわいい子供の言うことだし、
何より、冷静かつ客観的に見て、
自分はまだおばちゃんという年齢でなかったから…こそ、
別に本気で傷ついたわけではありません。

あれから22年の歳月を経て、
昨日、生まれて初めて「ババァ」と呼ばれました。

すっかり日あしも短くなり、5時台で真っ暗です。
私は次女を自転車の後部座席に乗せ、自歩道を走っていました。
向こうから自転車や歩行者が走ってきても、
十分すれ違える幅がある道でした。

車道は交通量が多く、
車の音にかき消されそうではあったけれど、
後ろから、数人の自転車高校生が来る気配はわかりました。

向こうからは自転車など来る様子もないし、
おばちゃんはおばちゃんなりに、
その子たちが脇をすり抜けられるようにと、
できるだけ隅に寄って走ったり、走るスピードを考えたり、
それなりに工夫しました。
が、血の気の多い高校生男子には、
それが「もたもたしている」と映ったのかもしれません。
言うに事欠いて、こう叫ぶではありませんか。
「どけ、クソババァ」
車の音に紛れることもなく、はっきりと聞き取れた罵声と、
それに似つかわしいような、似つかわしくないような、
不愉快で軽薄な笑い声……。

おぉ、上等じゃねえか。
おばちゃん改めクソババァは、体勢を立て直し、
自歩道の真ん中を、ゆっくりマイペースで走ってやりました。
もう何言われても、聞こえなかったことにするもんね。

やがて、私は右折、連中は信号を直進と
方向が別々になったので、
それ以上のことは起こりませんでしたが、
いつまでもムカムカはおさまりません。

そういう連中ですから、当然のように、
自歩道を自転車で併走しているわけです。
なるほど、それなら目の前のものは障害物でしょう。
そう言いながら笑っていたということは、
ノリで言ってみただけかもしれません。

暗くてきちんと確認できなかったものの、
制服はブレイザー型でした。
走ってきた方向と、その制服から、
候補は3〜4校に絞られますが、
あんな連中が
ひとかどの高等教育を受けているということも業腹です。
きっと、さぞや御立派なクソババァに育てられたんでしょう。
女と思しき人物には「クソババァ」と呼びかけられるようにと
教えられたという可能性もあります。

分かれ道に差し掛かったとき、
私は補助席の次女に、
「大きくなっても、
あんな連中とは口も利いちゃだめだよ。
バカがうつるからね」
と教え諭すのが精いっぱいでした。


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