ここでは、「日記」という名目で書き散らしていますが、 実際には、その日あったことというより、 その日思いついたことを書くことが多くなっています。
そのような営みの中で、数少ないルールは、 「褒めるときは実名をはっきりと 「けなすときは、婉曲表現で」を 心がけているつもりです。 とはいえ、 褒めたい対象のプライバシーにかかわってしまうときは、 この限りでありませんし、 婉曲表現といっても、 絶対わかんだろ、こんなわざとらしい伏字じゃ… ということもありますが、 まあ、その辺はアレでナニして。
5月22日付「朝日新聞」朝刊の『天声人語』の導入部、 読める方は読んでみてください。 吹き出しますよ。少なくとも私と上の娘はそうでした。
伝説のうたうたい尾崎豊は、「15の夜」でデビューし、 その歌われている内容はコレコレで…という簡単な記述の後、 「それも青春だが、 大人のルールで勝負する15歳がいてもいい」云々。 要するに、マンシングウェアKSBカップに15歳で優勝した 石川遼君を讃えるための「まくら」として、 なぜか「15の夜」を引っ張り出してきたんですね。 15歳のイシカワといえば、 「お城の草に寝転んだ少年」※だって 大昔いたじゃ〜ん。 こっちをまくらにした方が(こじつけになりそうだけど) オヤジっぽくはあるけれど、 素直で微笑ましいコラムになっていたことでしょう。 書き手が尾崎をどう思っているのかよくわからないけれど、 「15の夜」を15歳の一典型みたいに引っ張り出したことで、 全体が物すごく痛い文章になってしまっていると思うんです。
※お節介補足 石川啄木の短歌 「不来方のお城の草に寝転ころびて空にすはれし十五の心」 とはいえ、この啄木という方も、人間的には結構アレな人だったようですが。
石川遼君の快挙を讃えるには、 私もやぶさかではございません。 ゴルフのことは全くわからないし、興味もないけれど、 あえて上から目線で「大したもんだ」と言いたい。 それはそれとして、 「15の夜」が発表された1983年に15歳だった私ですが、 尾崎という人にシンパシーを覚えたことはありません。 歌う声そのものは嫌いではないのですが、 楽曲にはついぞ興味が持てませんでした。 そして、そういう「15歳」の方が、 むしろ多いと思うんですよね。 男子とか、女子とか関係なく。
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