土曜日生まれは腰痛持ち

2007年08月17日(金) Mama told me…

久々の雨音が心地よいalmost17時です。
ここ数日の猛暑続きと比べたら、快適そのものとはいえ、
やっぱり扇風機なしでは厳しいのですが、
不愉快な汗で、意味もなく何回も着替えなくていいのは
やっぱりいいものです。

最近、長女から、衝撃の事実を打ち明けられました。
「私15ぐらいまで、教師や親の言うことは絶対だと思ってた」
彼女は早生まれなので、15歳の大半を高校生として過ごしました。
つまり、16になってまだ1年と経っておりません。
ということは、本当に最近まで「そう」だったということです。
「だからあんり(仮名・次女)にも、
今からぎっちり仕込んでおいた方がいいよぉ」
という忠告までもらいました。

娘の通う中学校は、当時荒れ気味で、
ただでさえ無気力な担任のコーチングは期待できず、
受験に関しては、信じられるのは自分(と塾)だけだったはずです。
その無気力な担任も、15までの彼女の人生にかかわった1人ですが、
彼女は決して嫌っていたというほどではなかったようです。


それはさておき、その衝撃の告白の真意は、
こんな感じだったようです。

15というのは、せいぜい「中学卒業」程度の意味しかなく、
簡略化するために数字で言っただけと思われます。
「親や教師」というのも、
単に接する機会の多い年上の人間というほどの意味しかなく、
さらにいえば、「絶対だと思っていた」というのも、
しょーもない生活習慣や俗説にまつわることばかりで、
「思っていた」というよりも、「思わされていた」の方が
より正確な気がします。
例えば、ある子供がウナギを一人前食べられるくらいの年になったとき、
(並みの食欲があれば、7、8歳?)
「ウナギと梅干は一緒に食べちゃだめだよ。
死んじゃうから
と何気なく吹き込んだら、
そのいわゆる食い合わせが、事実無根とわかっていても、
結構いい年齢まで食べられなくなってしまうでしょう。
バカみたいと思いつつ、拭い去れない変な入れ知恵、
いわば言葉の呪縛以外の何物でもありません。
で、「バカみたいだと思うんだけど」ということに気づいたのが、
ようやく最近だという意味のようでした。

「洋服の赤と緑を未だにコーディネートできない」
とも言われました。
これは彼女がまだ小さい頃、
ほかならぬ私が言ったことのようです。
どういう状況で言ったのか、全く思い出せないのですが、
「できないことはないけど難しい」というニュアンスは
当然ながら伝わっていなかったようです。
……ちなみに、この日記を入力中の私は、
上が緑地のマルチボーダーのTシャツ、
下が赤ベースのマドラスチェックの短パンという、
赤だ緑だ以前に、そのままでの外出を避けた方が無難な装いをしております。
生きててすみません。


今になって役に立たない反省ですが、
長女がまだ小さい頃、若くて血の気の多かった私たちは、
少し高圧的な叱り方をすることもありました。
そのせいか、
彼女は反抗らしい反抗をしない子になったのですが、
さりとて、言うことをよく聞く子でもありません。
特定のおかずを強力にリコメンドしても、
生返事だけで食べないとか、
雨の日に自転車に乗るときにも絶対合羽を着ないとか、
その程度です。

「生きている」「存在する」ことだけを毎日実践する、
超マイペースな高校生活を、それなりに楽しんでいると見受けます。
まあ、これでよかったのでしょう。

かなり昔に読んだ、セシル・ディ・ルイスの
「丘の上のカシの木」だったかで、
「人間は、本当に何かと闘わなくてはならないときのために、
力を蓄えておかなきゃいけない。
だから、若いうちからむやみに反抗するのは得策ではない」

みたいなニュアンスのことが書いてあり、
娘が大きくなって、しょーもないことで反抗するようになったら、
ぜひともこの言葉を投げつけようと思ったのですが、
実践しなくて済んでおります。

10年後には、次女が今の長女と同世代になりますが、
この子はまあ反抗的になりそうな予感があります。
片や、私は50手前。更年期障害真っ盛りではないかと。
思春期反逆バリバリ娘VS不定愁訴体力減退母……
分の悪い戦いではありますが、受けて立つしかありますまい。


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