さて今年の初夢は…というところへ、まさに寝込みを襲われた形で観てしまった。 泣きみそ小石先生につられるように、涙をハラハラ落としながら。
壺井栄 著“二十四の瞳”を読んだのは、小学3年生頃のことである。 瀬戸の小豆島が舞台とあって、方言の解読は容易だったが、当時はまだ幼く 戦前戦中の貧しさも、軍国主義もアカも、師弟愛も、子を失う親の気持ちも 何一つ理解出来よう筈もなく、だが読了後に言い知れぬ切なさは胸に残った。 しかしそれも、頑是無い教え子たちの何人かは死に、何人かは大人になり 若々しく人気者だったおなご先生が老いてしまったことに対する寂寥感、というか 漠とした無常感のようなものに過ぎなかったのだろうと思える。 子供のアタシにはむしろ、併録されていた“林檎の袋”の方が面白かった。
当時の日本人は、あのように貧しく、また屈託が無かったのだろうか。 若き新米教師として島に赴任し、その後18年間、教え子らの成長を通して その喜びと哀しみ、生と死を見守り続けた一人の女性の万感の思い。 再び教師として戻ってきた大石先生は、既に親となったかつての教え子らの 面影を宿す子供一人一人の名を呼んでは、去来する想い出に嗚咽する。 歓迎会の席上、失明し復員した磯吉が、クラス写真に写る亡き級友らを、見えぬ指で さし示す時は、先生のみならず陽気な娘たちですら涙にむせぶ。アタシも泣いた。
大東亜戦争に日本が参戦したことについての、是非を問うつもりはない。 闇雲に反戦を唱え、戦没者を冒涜する戦後の左翼的思想には憤りすら覚える。 ただ、女の目で眺めると、戦争とは何と哀しいものか。女は何と無力なものか。 この映画を観ると、いやでもそれを思う。
先生役の高峰秀子も、生徒たちの演技も良かった。
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