上京して間もない頃、TVから流れるこんな歌のフレーズにハッと打たれたのだった。
♪ もしもあした私たちが何もかもを失くして ただの心しか持たない痩せた猫になっても… ♪
「猫」に惹かれた。猫が絶望を体現し、こんな風に胸をかきむしる歌詞になろうとは。 絞り出すような女性の歌声。ところがアタシは当時、その歌手を知らなかった。 レコード屋の店員に尋ねて、ああその名前は聞いたことがある…と思い当たり “あした”のシングルカセットを買った。以来10年、中島みゆきを聴いている。
浜省ともども「暗い歌」の代名詞とされるアーティストだが、安直に明、暗、と 世人が分類する根拠はともかく、昔から哀感のこもる曲や物語が好きなのである。 中島みゆきの楽曲全てを好む訳ではない。詞があまりにも冗漫だったり、歌い方が 芝居がかり過ぎていたりして、アルバムに収録される10曲のうち気に入ったものが 2〜3あるかないかという割合なのだが、その僅かの及第曲ゆえに、また次回の リリースを待つ。赤剥けの感受性を更に抉り込むような、心の絶唱聴きたさに。
若手ミュージシャンの斬新さに触発されでもするのか、たまに奇妙な言葉を多用し 演奏も技巧に凝り過ぎた曲を発表することもある。そのせいかどうか、近作はやや トーンダウンの感が否めず、染み入るような哀調を奏でるのは初期の歌が多い。 無理もないか。70年代と今とでは、小道具一つとってもすっかり違うのだから。 街から街への渡り鳥、安宿、一途なあばずれ… 背景には、まだまだ不便な生活と 若さゆえの貧しさがあり、出会いや別れ、孤独と悲しみを愛しむことを人々が知る 時代でもあった。ただれた豊かさの現代、死に絶えたかに見える「ペーソス」。
竹内まりやにも好きな歌はあるのだが、あの甘くスタイリッシュな都会的洗練は 中島みゆきの泥じみた飲んだくれの絶叫とは、実に好対称をなしている。

♪ 女に生まれて喜んでくれたのは 菓子屋とドレス屋と女衒と女たらし 嵐明けの如月 壁の割れた産室 生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆の溜息だった ♪ ≪やまねこ≫
ひょっとしたらこれなどは、自らの出生を歌ったものなのだろうか。 今日で50歳の誕生日を迎えたみゆきさん。今年はコンサート行けるかな…(*^_^*)
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