みちる草紙

2002年03月30日(土) 従妹を偲ぶ

あれは確か、8歳の誕生日を迎えて間もない、3月30日のことである。

夜が明けるか明けない頃、階下で突然電話が鳴り、両親が慌しく降りて行った。
アタシは妹と枕を並べて寝ていたが、二人ともその音で目を覚まし、黙って顔を
見合わせた。母が『お義母さん』と呼びかけていたので、早朝の電話の主が
父の継母であることも、また、それがただならぬ用件であることも分かった。
しばらくして、母が静かに階段をのぼってくると、息をつめて待っている
アタシたちの部屋の襖を少し開け、言った。 「Mちゃん、死んだ…」

「ええっ!」先ずびっくりして寝床から跳ね起きたのは、妹であった。
それもその筈、妹はつい数日前、病院で従妹のMを見舞ったばかりで
家に帰ってきてからも、Mのことをさかんに話していたところだったのである。

享年2歳。Mは生まれつき心臓に穴が開いており、まだほんの赤ん坊の身で
繰り返し小さな胸をメスで切り裂かれていた。持ち堪えられる筈もない。
アタシが覚えているのは、病室のベッドで、叔母がMにうどんを食べさせていた
光景だけである。赤子ゆえか身体が弱っているせいなのか、一言の片言すら
声に出さず、アタシの顔を大きな目で珍しそうにじっと見つめていた。
母親似で色の白い、愛想のない子だな、と思った。Mの記憶はそこまでである。

6年前の正月、実家に帰省した折、Mの妹たちが叔母夫婦と遊びにやってきた。
祖父の葬式で初めて彼女らに会った時、アタシは高校生になったばかりで
Mの二人の妹は、まだ人の死など理解できぬ幼い子供だった。
しかし10年ぶりに会ってみれば、上の子は早くもすっかり大人びている。
二人ともニコリともせず、内気だが強情で、生意気盛り。
叔母と同様、神経質で愛嬌がなく、人のなけなしの財布からお年玉を
もぎ取って行った。Mが生きていれば、その年に成人していた筈なのだが
この妹たちは無邪気にも、幼くして死んだ姉を知らない。

Mの死後、狂わんばかりに嘆き悲しんだ叔母は、それから何年もの間
頑固に『子供はもう産みたくない』と言い続けていたと聞く。
けれどあれから25年の歳月が矢のように過ぎた。
生きる間もなく世を去ったMを、事実、親類の誰もが遠い過去の出来ごととして
もう殆ど忘れかけてしまっているのである。

明日は父の誕生日。狂い咲き桜の3月も去く。


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