あれは確か、8歳の誕生日を迎えて間もない、3月30日のことである。
夜が明けるか明けない頃、階下で突然電話が鳴り、両親が慌しく降りて行った。 アタシは妹と枕を並べて寝ていたが、二人ともその音で目を覚まし、黙って顔を 見合わせた。母が『お義母さん』と呼びかけていたので、早朝の電話の主が 父の継母であることも、また、それがただならぬ用件であることも分かった。 しばらくして、母が静かに階段をのぼってくると、息をつめて待っている アタシたちの部屋の襖を少し開け、言った。 「Mちゃん、死んだ…」
「ええっ!」先ずびっくりして寝床から跳ね起きたのは、妹であった。 それもその筈、妹はつい数日前、病院で従妹のMを見舞ったばかりで 家に帰ってきてからも、Mのことをさかんに話していたところだったのである。
享年2歳。Mは生まれつき心臓に穴が開いており、まだほんの赤ん坊の身で 繰り返し小さな胸をメスで切り裂かれていた。持ち堪えられる筈もない。 アタシが覚えているのは、病室のベッドで、叔母がMにうどんを食べさせていた 光景だけである。赤子ゆえか身体が弱っているせいなのか、一言の片言すら 声に出さず、アタシの顔を大きな目で珍しそうにじっと見つめていた。 母親似で色の白い、愛想のない子だな、と思った。Mの記憶はそこまでである。
6年前の正月、実家に帰省した折、Mの妹たちが叔母夫婦と遊びにやってきた。 祖父の葬式で初めて彼女らに会った時、アタシは高校生になったばかりで Mの二人の妹は、まだ人の死など理解できぬ幼い子供だった。 しかし10年ぶりに会ってみれば、上の子は早くもすっかり大人びている。 二人ともニコリともせず、内気だが強情で、生意気盛り。 叔母と同様、神経質で愛嬌がなく、人のなけなしの財布からお年玉を もぎ取って行った。Mが生きていれば、その年に成人していた筈なのだが この妹たちは無邪気にも、幼くして死んだ姉を知らない。
Mの死後、狂わんばかりに嘆き悲しんだ叔母は、それから何年もの間 頑固に『子供はもう産みたくない』と言い続けていたと聞く。 けれどあれから25年の歳月が矢のように過ぎた。 生きる間もなく世を去ったMを、事実、親類の誰もが遠い過去の出来ごととして もう殆ど忘れかけてしまっているのである。
明日は父の誕生日。狂い咲き桜の3月も去く。
|