みちる草紙

2002年04月05日(金) 苺のデザート

スーパーに買い物に行くと、苺が沢山並んでおり、閉店前とあって安かった。
アタシは昔から酸っぱいものが苦手で、果物も普段滅多に買うことはないのだが
「苺なんか何年ぶりかな…」とふと思った瞬間、もうカゴに入れていた。
苺なら、洗うだけで皮を剥かなくても良いし(←不精)、少しくらい酸っぱくても
コンデンスミルクか砂糖をたっぷりかければ気にならないだろう。
そこで、苺の隣に置かれていたチューブ入りの加糖練乳もついでに買った。

苺はほぼ完熟状でそのままでも充分甘かったが、練乳の懐かしい味が好きなので
わざわざこってりたらす。いただきながら『森永ミルク』のチューブに描かれた
かわいらしい子牛の絵を、手に取ってしみじみと眺めているうちに
複雑な思いが脳裏を駆け巡り始めた。

       

巷にロングセラー製品は数多くあるが、発売当初に使用されていたであろう
このように細かなタッチの絵柄や商標は、今ではどんどん姿を消している。
昔は絵画的な図案であったものが、イメージ一新の名のもとに、ただシンプルな
だけのロゴに変わってしまったりして、腹立たしいほど惜しい思いがする。

森永のエンゼル、タイガーの虎、カルピスの黒人… あと何があった?
(カルピスの場合、人種問題に絡むアホらしい悶着があったのは有名な話)
ポッカの缶コーヒーの男の絵は、辛うじて永らえているようであるが
あれもよく見ると、少し手が加えられていて昔のままではない。
これは懐古趣味とか伝統保護精神とかいった大袈裟なものではなく
単なる好みの問題なのだけれど、今どきウケるタイプのグラフィックイメージ
というのが、アタシはどうしても好きになれないのである。

例を上げれば、ドーモくんにタレパンダ。さくらももこの「ちびまるこ」。
フリーハンドでわざと下手くそに描いたロゴやマーク(フジテレビの目玉とか)。
児童用の文学書の挿絵や絵本でさえ、こう言っては何だが、どれも似たよ〜な
誰でも描けるよ〜な、ちびまるこ調や子供の落書き然とした絵が圧倒的に多い。
逆にアタシが子供の頃読んでいた少年少女向け文学の挿絵は、エッチングのように
細密で、絵画と遜色ないような見事なデッサンのものが多かった。

確かに幼児が喜ぶのはマンガちっくな絵なのだろうが、大の大人たちまでが
まるでそれに阿るかの如く、子供の落書きレベルのイラストを歓迎している。
この幼稚テイスト愛好傾向は、今や日本全土を覆っていると言っても過言ではないし
極端に言えば、親がそうだから、子供の情操的成長はそれ止まりになってしまうのだ。
溜息が出るほど美しく、これぞ挿絵画家の技という、その本領を見せてくれる作品が
ベストセラー書籍を飾ることは、近頃では少なくなった。

(こういうことを大っぴらに言うと、何が上手くて何が下手か、その定義は、
根拠は、立派な絵に接することがそれほど情操教育に重要な位置を占めるのか等と
面倒くさい反論を喰らいそうである。しかしここでは一般の傾向を特徴づける
のに取り上げた一事例であり、かなり乱暴な見解であることは承知しているが
飽くまでアタシの自己本位の価値基準で申し述べていることをお断りしておく)

あと気に入らないのは、合併等に伴う市町村名の平仮名化。印象が平板な上
「あきるの市」と平仮名で書かれても、由来がさっぱり分からない。
それから、漢字本来の読み方を無視した子供の命名。(例:新斗=にゅうと)
また、新聞やニュース報道でも、誰もが読みこなすには少し難しいと
メディア側が判断した語は、悉く平仮名表記されてしまっている。
ところがあれは、視聴者読者としてはありがた迷惑も甚だしい。

「炭そ菌」と書けば確かに誰でも読めるだろうけれど、単に音で読めれば
それで良いというのか。皆、初めて『炭疽菌』という名称を耳にしたところ
全国紙の記事でも「炭そ菌」、NHKのニューステロップでも判明しない
「そ」の字を知ろうと思えば、いちいち別の媒体で調べなくてはならないとは。
表音のローマ字と違って、漢字というのは『表意文字』なのである。
青少年の活字離れがどーのと言うが、その前に、正しい漢字を知らない大人が
多いのではなかろうか。このような劣悪環境下では。

話が逸れた。

いい年をしてお恥ずかしいのだが、現在当HPにも置いているハーボット(。_。*)
一時は立派に客寄せを果たしてくれたので、悪口を言ってはいけないと思うが…
これが30年前に開発デザインされたものだったら、ここまでシンプルな
造作ではなかったかも知れないなぁ。なんて(苦笑)


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