クタクタで帰宅して『ノートルダムの鐘』を観た。
子供の頃読んだユーゴーの原作からは、内容がかなり変えられているけど せむしのカジモドがかわいそうでいじらしくて、思わず涙を流す(ノ_・。)
奇形に生まれついたため、外界に出ることを禁じられて成長したが 街中が祭りを楽しむ、その陽気なムードが羨ましくて、戒めを破りおずおず 出て行ったところ、皆、彼の醜さを仮装だと思って親しく微笑みかける。 生まれて初めての祭り。優しく迎えられたと思い、カジモドは嬉しかった。 ところが…。 それが生来の姿であると分かった途端、凄まじい嘲笑の渦が彼を捕え 引き回されて悲惨な晒し者となってしまう。カジモドの怯えた悲しい目。 エスメラルダでなくとも、身体を張って助けてやりたくならないものか。
しかし、道徳観が現代とはまるで違う昔は、どこの国にもあったのだ。 所謂フリークスを見世物にして興行する一座が。もちろん我が日本にも。 まして、この物語の舞台はと言えば、暗黒の中世ヨーロッパ。 差別や偏見は悪徳ではなかったし、人々は狂信迷信で凝り固まっており スケープゴートを吊し上げて残虐に嬲るのは、恰好の娯楽でさえあった。 魔女が大量に捏造されて火刑台に送られたのも、まさにこの時代である。
司教補佐の悪徳フロロは、辞めた会社のエロ常務まんま(。-。-。) 邪な情欲をはねつけると、即死刑!ときた。お前はガキデカか。
カジモドは美しく優しいエスメラルダに恋心を抱くが、彼女は男前の 騎兵隊長に惹かれ、人並み外れて醜いカジモドを愛することはない。 それはあまりに自明のことであるがゆえに、しょんぼり沈むカジモド。 ここでまたしても、胸がしめつけられて涙腺がゆるむ(ノ_ー。)
このアニメーションでは、勧善懲悪のハッピーエンドとなっているが 原作では、恋人の騎兵隊長はエスメラルダを裏切り、彼女は 彼を殺した罪を着せられて絞首刑となり、カジモドはフロロを殺し エスメラルダのあとを追って死ぬという結末である。
『ジプシー』というのは実は差別用語なのだそうで、流浪の民のことは本来 『ロマ』と呼ぶらしい。異国語なので、昔から親しんでいる「ジプシー」に 特に侮蔑的なニュアンスなど感じたこともなく、エキゾティックで良いと思うが そう言えば、アラン・ドロン主演の“ル・ジタン”という映画をTVで観た時 「ジプシー」という言葉が時々出ることに対する弁解めいたテロップがあった。 わざわざその『差別用語』とやらに注意を喚起するのもどうかと思うが。
じゃあ今は、ツィゴイネルワイゼンも言葉狩りに遭っているのだろうか。 ジタンはいいのか。アタシはヘビー愛煙家で、ジタンブロンド喫ってるんだけど 突然なくなっちゃったりしないでしょうね。ちょっと心配(ー。ー;)y-◎◎◎
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