みちる草紙

2002年04月19日(金) ノートルダムの鐘

クタクタで帰宅して『ノートルダムの鐘』を観た。

子供の頃読んだユーゴーの原作からは、内容がかなり変えられているけど
せむしのカジモドがかわいそうでいじらしくて、思わず涙を流す(ノ_・。)

奇形に生まれついたため、外界に出ることを禁じられて成長したが
街中が祭りを楽しむ、その陽気なムードが羨ましくて、戒めを破りおずおず
出て行ったところ、皆、彼の醜さを仮装だと思って親しく微笑みかける。
生まれて初めての祭り。優しく迎えられたと思い、カジモドは嬉しかった。
ところが…。
それが生来の姿であると分かった途端、凄まじい嘲笑の渦が彼を捕え
引き回されて悲惨な晒し者となってしまう。カジモドの怯えた悲しい目。
エスメラルダでなくとも、身体を張って助けてやりたくならないものか。

しかし、道徳観が現代とはまるで違う昔は、どこの国にもあったのだ。
所謂フリークスを見世物にして興行する一座が。もちろん我が日本にも。
まして、この物語の舞台はと言えば、暗黒の中世ヨーロッパ。
差別や偏見は悪徳ではなかったし、人々は狂信迷信で凝り固まっており
スケープゴートを吊し上げて残虐に嬲るのは、恰好の娯楽でさえあった。
魔女が大量に捏造されて火刑台に送られたのも、まさにこの時代である。

司教補佐の悪徳フロロは、辞めた会社のエロ常務まんま(。-。-。)
邪な情欲をはねつけると、即死刑!ときた。お前はガキデカか。

カジモドは美しく優しいエスメラルダに恋心を抱くが、彼女は男前の
騎兵隊長に惹かれ、人並み外れて醜いカジモドを愛することはない。
それはあまりに自明のことであるがゆえに、しょんぼり沈むカジモド。
ここでまたしても、胸がしめつけられて涙腺がゆるむ(ノ_ー。)

このアニメーションでは、勧善懲悪のハッピーエンドとなっているが
原作では、恋人の騎兵隊長はエスメラルダを裏切り、彼女は
彼を殺した罪を着せられて絞首刑となり、カジモドはフロロを殺し
エスメラルダのあとを追って死ぬという結末である。

『ジプシー』というのは実は差別用語なのだそうで、流浪の民のことは本来
『ロマ』と呼ぶらしい。異国語なので、昔から親しんでいる「ジプシー」に
特に侮蔑的なニュアンスなど感じたこともなく、エキゾティックで良いと思うが
そう言えば、アラン・ドロン主演の“ル・ジタン”という映画をTVで観た時
「ジプシー」という言葉が時々出ることに対する弁解めいたテロップがあった。
わざわざその『差別用語』とやらに注意を喚起するのもどうかと思うが。

じゃあ今は、ツィゴイネルワイゼンも言葉狩りに遭っているのだろうか。
ジタンはいいのか。アタシはヘビー愛煙家で、ジタンブロンド喫ってるんだけど
突然なくなっちゃったりしないでしょうね。ちょっと心配(ー。ー;)y-◎◎◎


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