みちる草紙

2002年04月28日(日) ミツコ・クーデンホーフ・カレルギー

日曜の晩の“NHKアーカイヴス”は、けっこう好きでよく観ている。
今夜は、カレルギー伯爵夫人こと、青山光子に取材した15年前の番組を
取り上げていた。タイトルは『ミツコ 二つの世紀末』
ミツコ役兼ナビゲーターは、女優の吉永小百合。

東京の町娘・光子は、オーストリア大使であったカレルギー伯爵に見初められ
結婚してオーストリアに渡る。華やかな社交界で東洋の花とうたわれるが
夫の死後は、7人の遺児を育てながら自分に託された伯爵家を守り
祖国の土を二度と踏むことなく、第二次大戦前夜、かの地で没した女性である。
吉永は、ミツコゆかりの地や人物を訪ね、彼女の生涯を追って行く。
銀板写真で見る在りし日のミツコは、目の覚めるような美女でこそないのだが
きりりとした表情に意志の強さが窺える、チャーミングな明治の女性だった。

当時、ヨーロッパ人には、日本とは殆どその名も聞いたことがないような
東洋の未開国、蛮国と見なされており、そこへれっきとした伯爵夫人として
赴く訳だから、並みの度胸では国境を越える愛は成就し得ない。
異なる言語を一から学び、必要な教養を洩らさず身につけ、ドレスを着こなし
社交界にデビューしなければならないということが、いかに大仕事であるか。

実は小学生の頃、大和和紀の“レディー・ミツコ”を読んでこの女性を知った。
印象に残っているのは、ミツコが要望に応え和装でウィーンの宮廷に現れた時
帯に忍ばせた匕首を見て「日本の女は刀を持つのか」と人々が驚くのに対し
「日本人は、誇りを傷つけられるより、自ら死を選ぶことのできる民俗です。
 日本女性である私も、いついかなる時もそのようにと心がけております」
毅然とそう答えたシーンである。
しかし夫に先立たれ、次第に鬼婆と化して行った彼女から子供たちも離れてゆき
晩年は孤独のうちにひっそりと世を去ったそうである。
彼女の死後ほどなくして、日本軍が真珠湾を奇襲し、太平洋戦争開戦となる。

それにしても、吉永小百合の気品には改めて恐れ入った。
あのくぐもったような声だけはいただけないが、30年前のフィルムで見る吉永の
なんと初々しく可愛らしいこと。中年以降も和服がしっとりとよく似合う人である。

今日から3夜連続、明日も忘れず観なければ。
(と言いつつ、最終回は疲れてはやばや寝てしまい観損ねた…←後日筆)


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