みちる草紙

2004年10月27日(水) いのちのたいせつさ

昨夜はやばやと寝についたので、今朝は6時半にぽっかりと目が開いた。
うむ、久々に健全な目覚め。起きてベッドから足を下ろすと、もんが待ち構えていたように
柵に走り寄って「出してぇ!」と訴えてくる。そして室内疾走にしばしお付き合い。
それにしても冷える朝であった。こたつの温もりがしみじみと有難い。
そうだ、明日は月に一度の外来で、また湯河原に行かなきゃならないんだった!
寒くなったからなぁ、何着て行こう。新幹線、脱線したりしないだろな…(^_^;)

熱いココアを入れてぼんやり見ていたニュースによれば、日本人と思しき青年がまたもや
アルカイダと見られるイラクの武装集団の人質となり、殺されかけているという。
その時点では身元が分からない。しかし、助けてくれとボソボソ哀願する日本語は
あれは日本人のものだ。呆気にとられた。
あれほど退去勧告されながら、まだ日本の民間人がボサッと残っていたというのか?
あれほど世論を騒がせ、かつ憤慨させた半年前の人質事件を
まさかこいつは知らなかったとでもいうのか?

お昼前、昼食の支度をしようと米を研いでいたところ、またしても地震。
米粒を掴んだ手を水に浸したまま、固まる。くるか?くるか?緊迫の一瞬…。
テレビはすかさず、新潟の中継に移った。あちらではマグニチュード6弱で
4日前のあの瞬間と同程度の揺れであったらしく、女子供が抱き合い叫喚していた。

夕方のニュースでは、行方不明になっていた母子が土砂に埋もれた車の中から
レスキュー隊によって運び出される現場を映し出していた。
小さな男の子は生存が確認され奇跡的に助かったが、母親は既にこと切れていた。
車中にはまだ幼い女の子が取り残され、救出は困難をきわめる状況らしい。

新潟中越地震に比較して、イラクの人質事件は心なしか扱いが小さい印象を受ける。
それはそうだろう。同胞の心情としてもだ。地震の被災地への国をあげての支援よりも
遊び半分にイラク入りしたたった一人の不心得者の救出が優先に値するなどと
一体誰が思おうか。
よりによってこんな時に、こんな馬鹿げたことで、またぞろ国家の威信が試され
莫大な金がつぎ込まれようとしているとは。
表向き『全力で救出にあたりたい』としながらも、政府は舌打ちしていることだろう。
『自衛隊は撤退しない!』
憮然と断言した首相の表情には、苛立ちが滲み出ていた。
新潟視察を出し抜いた真紀子氏にはボロクソ言われるし、ご苦労さまである。

『すみませんでした』と小さく呟く人質青年。すみませんで済むなら自衛隊は要らない。


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