みちる草紙

2004年10月31日(日) イラクに死す

現地時間30日の夜、バグダッドで、星条旗に覆われた邦人青年の遺体発見との報。
予告通り、頭部は切断され、その首は胴体の脇に置かれていたという。
無事の救出は絶望的と、誰しもが思った今回の人質事件であった。
前日に別人の遺体が彼ではないと確認された時も、楽観出来る状況ではなかった。
黒覆面の武装犯に髪を鷲掴みにされ、無理やり顔を引き起こされる、無防備な若者の姿。
あれが、家族の見た、生きた肉親の最後の映像となったのである。

24歳とは言え中味はまだほんの子供、無邪気に動乱のイラクに渡った彼が
首を切り落とされる断末魔の恐ろしい地獄絵図。
“遺体は別人”と聞いて一旦安堵し、今また悲しみのどん底に突き落とされた家族。
それらに繰り返し想いを馳せずにはおれない。

日本人男女3名が人質となった時、家族らは半狂乱に救出を訴え自衛隊撤退を求めた。
そんな彼らに国内の非難が殺到し、アタシはむしろ同情したものである。
無論、避難勧告を無視して自ら招いた災いに、政策を翻せとは不遜な要求とも言えようが
異国の地で日夜生命を脅かされ、一方で同国人にまで糾弾されねばならないのか、と。

だが、その前例がありつつ今の情勢下でのイラク入りとは、全く愚か過ぎる行為であった。
彼は、不本意にせよ、結果的にスクープな自殺を決行しに、かの地に乗り込んだ訳である。
『自衛隊のイラク派遣が彼の命を奪った』
との一部の見解は、今更に取って付けたかの如き、乱暴な履き違えであろう。
青年を殺害した武装集団は確かに、人質を盾に日本自衛隊の期限内撤退要求はしたが
用もないイラクに足を踏み入れさえしなければ、死なずに済んだのは分かり切っている。
彼はまた、何も自衛隊駐留に抗議、阻止する使命感から、命を賭した訳ではないのだから。

犠牲者の父親は痛ましくも、迷惑をかけた詫びと、支援に対する感謝のコメントを寄せた。
打ちひしがれた両親の口から、国家に対する怨嗟は聞かれない。
それは、過去の3人の例を踏まえ、慎重を期した言葉選びでもあったのだろうが
悲痛の淵にありながら、我が子を亡くした嘆きを手放しに訴えられない親が哀れだ。
多くの自国民が、悼むより“自業自得”と冷ややかに迎えた、最愛の息子の死。
残酷にもそれを痛いほど知る両親の心が、その二重の苦しみが、ただただ哀れである。


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