2004年11月08日(月) |
人生の捨て場縹渺たり |
テレビをつけたままこたつで転寝しかけていたら、好きなドキュメンタリー番組が始まる。
霊峰富士の麓に広がる青木ヶ原樹海。言わずと知れた自殺の名所である。 いつの頃からか、アタシは富士山を遥かに望むたび、ああ高いな美しいなと感嘆の一方で あの麓には夥しい数の縊死体がぶら下がり、次々に樹木のこやしになっているのだという おぞましい感慨を、条件反射的に掻き立てられるようになってしまった。嘆かわしい。
今回は、ここを訪れる人々に、3ヶ月にわたり取材を行ったということであったが…。
今年の元日に撮影。十国峠より。 
------------------------------ 青木ヶ原樹海は、1000年以上も昔の富士山噴火により流れ出した溶岩流の上に 長い時をかけて樹々が生い茂り形成された、広大な原生林だということである。 磁性溶岩帯であることから方位磁石が狂うこともあり、不用意に迷い込むと 山歩きになれた人ですら迷う恐れのある、自然の驚異を体感する場所だと。
軽装でバスを降り立ち、車道伝いにとぼとぼ歩きながらひょいと樹海の中へそれる人がいる。 それは決して観光客ではない、死相をたたえ自ら魔境に踏み込む人間なのだ。 取材スタッフはすかさずあとを追い、どこへ何をしに行くのか訊ねる。 空返事をしてずんずん奥へ進む男。話しかけながら、もと来た道を戻らせようとする。
乗り捨てられた車に残されたメモが見つかり、家族に連絡をとる。 家出した男の妻は着の身着のままで駆けつけ、暗闇の林を、夫の名を切なく 大声で呼び続けさまよい歩いた。奇跡的に生還した夫。泣き崩れる妻。
また、樹海の中で呼び止め民宿で話を聞いてやると、いっとき救われたかに見える男は 翌朝、布団を丁寧にたたみ、迷惑料と共に一度は置き捨てた手荷物を再び携えて バスで帰って行った。 ------------------------------
塀の中の、極刑を待つ受刑者は、せまりくる死の恐怖に絶えず怯えながら その日その日の午前中をやり過ごす。処刑当日、いよいよひかれてゆく時には 凄まじい恐慌に陥り、中には足腰が萎え、小水を漏らす者さえあるという。 彼らには、他人を殺めてなお、自らの生への強い執着がある。 ところが、死んで償わなければならない罪を犯した訳でもなかろうに、強制でなく 自らの手で木の枝にロープをかけ、進んでぶら下がる人の数は、刑死者の何百倍である。 死よりも辛い娑婆の日常が、心弱い人々を完膚なきまでに責め苛むのであろうか。 小さないたわりに接すれば、或いはこの世に繋ぎとめられるかも知れぬ、臨界の命。
人は、死んで魂が消滅したとしても、遺骸はこの世に残して行かねばならず 埋葬という形で、生きた人の手でしかるべく片付けてもらわねばならない。 樹海内は湿度が高く、従って死体の腐敗の進行も非常に早い。 腐れ落ち、鳥や獣に食いちぎられた自殺者は、苔むす白骨と化して散乱するのみ。 人として生まれ、人として生き、今や飢餓のない社会にありながら寿命を全うすることなく 選ぶ死にざまとしては酸鼻をきわめる、最悪のものと言えるかも知れない。
戦争、事故、病気、そして自殺。 野生の獣とは異なる、自死という形での弱肉強食の淘汰が、人間社会には存在する。 人中で死ぬことさえ恐れ樹海に分け入った者を、馬鹿だ弱虫だと哄うのは容易いが 予想もしない悲惨な骸をさらばえる末路を、自分が迎えないという保証は何ひとつない。 こうして人の世にある限りは。
幼稚園で習ったおうたに『富士山』がある。
♪霞の裾を遠くひく 富士は日本一の山
その昔、神の宿るとまで言われた、日本随一のうつくしい山。 しかしその裾野には、発見を待つことなしに朽ちゆく屍が累々と…。 後世に、無数の不法投棄ごみと無数の骸が、彼を世界遺産たらしむることなく 末世を早めんとするかの如しである。
嗚呼。
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