『 hi da ma ri - ra se n 』
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「 シンプルに生き死にしたかった 」

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2002年05月13日(月) 「百年の満月−4」

1999年、2月 スペインにて雑記 ��


 「神様の腕」


 コンクリートの灰色と、ただしく配列された絵本のような木立。
 あたりの様子を見回して、これが公園なのだなと知ることができたのは、
 首に紐をつけられた薄茶色な犬が、
 それをふりほどいて走り出したのを目にしたからに違いない。

 いつかずっと昔、
 クレヨンのらくがきで描いたような木は、まるで
 鏡に映ったようにシンメトリーなお互いをひっそりと眺めながら
 すきまなく埃のようにふりそそぐ太陽の下で遠慮がちに揺れている。
 乾いた葉をしゃらしゃらと動かして
 絶対に触れ合えない距離に抗議するわけでもなく、孤独に立っている木々の、そこが公園。


 いつかずっと昔。
 僕は確かに見たと思う。


 空から降りてきた誰かの指が、規則ただしく彼らを並べ、そこに置き去りにしていったのを。



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バルセロナ。

古くて少しずつ色の違った煉瓦色のつみかさなる街。
太陽のまっしろなかがやきと薄暗い路地裏が交錯する街。
その街で、あたしはふたりの人に出会いました。


なにかをつくりだす腕をもった人、
もう以前にどこかで出会っていたふたりの男の人に、
もういちど。
まるではじめましてという挨拶がよく似合う出会い。


ひとりは、ガウディ。


いつまでも今までも続く大きな大きな教会。
広いバルセロナの街ごと包んだ色とりどりの庭。
あなたの頭脳からはみでるくらい、あなたの夢は大きかったのかな。
もし、そのぜんぶがかたちにできていたら
いったいどんな素敵なカーブやアーチや色とりどりの石がこの地面に生えてたことだろう。
街外れの丘から石の家並みを見下ろして
通りがかりの猫をかまいながらそんなことを思った。


そしてもうひとりは、

ピカソ。

パブロ・ピカソ。

本当の名前は長すぎて忘れてしまった。
本当のことを言えば、憶える気にもならなかった、
だって、じゅげむじゅげむごこうのすりきれ・・・を地で行っているような
長い長い長い名前のひとだったから。


ごめんなさい、
でもおあいこだよ。
だってあなただって
あたしのことを男の子だと間違えたんだもの。


  そう、
  スペインではあたしは男の子。

  MA・JO
  気のいい男

  それがあたしの名前の意味だった。


ゆるい坂道をのぼり、薄いピンク色の路地をつたって
ついた場所、ピカソ美術館。

おさないあなたの手がなぞった教科書のようなデッサンから
まっしろな髪のあなたの腕がこねた、とぼけた顔の粘土細工まで
ここにあるなにからなにまでは、あなたの手でつくられている。
薄い色合いの一軒の家。
あなたはまるで誰かの夢ででもできているみたいな顔をしてそこにいた。
がっしりと行く手を阻む鉄の門の向こうで、
無造作なアーチと階段と縞々のチョコレートの飾りのついた屋根で
説明書のカタランがわからなくてチケットが買えないあたしを笑うみたいに。


白状します。

ほんとうのことをいえば、あたしあなたなんか好きじゃなかった。
むしろ全然、ちっとも。
好きのカケラも見つからない絵を描くおじいちゃん、はじめまして。
遠い東の国からはるばる来ました。
あたしの国で有名なのは、ただただあなたの名前です。


あらゆる定規でひいたみたいなかたち。
赤と緑と原色のダンス。
半円と円錐と円柱と三角形と四角形と
できそこないの蜘蛛の巣を色分けしてコンパスをかけて、それからねじって放り出すの。
かと思えば薄黒い泥のような一面の青としずんだ瞳。
首がとれたみたいな動物、はだかの女の人はあっち向いてこっち向いて
あの男の人ときたらまったく何を見てるのかさえわからない。
ねえ横向いてるの?それとも上向いてるの?夢見たの?哲学?セックス?農作業?
それとももしかして寝てるだけ?


・・・まったくもう、何をしでかそうとしているのやらわからない。


ねえ、ピカソのおじいちゃん、白状すれば、
あたしとっても小さなころから、教科書に載ってるあなたの絵をみていると、
どうにも気持ち悪くなるんです。


それならどうして来ちゃったんでしょう。
こんな遠くまで。
こわい思いまでして。


 「さあねえ。

  とりあえず、入ってみれば?」


いちばんめの部屋で出迎えてくれたのは
おそろしく繊細で出来のよい、教科書通りの木炭デッサン。
制作年次にはただ、推定とある。
まるで美大の受験生が描くような正確なデッサン。

「推定7歳」の少年が描いた誰かの横顔。


こわかった。
ただ、ひたすらにこわかった。

「目が、死んでる」

「みんな、死んでる」

かえりたい。
かえりたいよ。
あたしどうしてこんな遠いところまで来てしまったんだろう。
こんな、こわい思いまでして。

あたし、帰りたい。

カエリタイ。

憎しみに満ちた肖像画。
死んだ目をした自画像。


こんな瞳ばかり描くひとが、正気であるはずはないと、からだの奥の方から理解して
部屋中にふりそそぐ無数の死んだ瞳から、痛ましい思いと恐怖があたしを切り刻んだ。


こわい。

こわかった。

あなた、いったい、これから、どんなおそろしい場所に行こうというの。

あなた、いったい、どんなにおそろしい世界で生きているの。

なにもかもが死んでいた。

なにもかもが憎まれていた。

そんな真っ黒な死の渦巻く場所で、ひとがまともに生きてゆけるなんて
少なくともあたしには信じられなかった。
吐き気をおさえるように部屋から逃れ出れば、そこにはスペインのまっしろな太陽。
涙目になって見上げた窓の外のパティオでは樹木さえがリズミカルに生きていた。


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もう、この先に進みたくない。
あんなこわいものなんて見たくない。

だけど先へ行くしかない。


「だってあたしは、ここまで来てしまったんだもの。」


そうして続く
次々の部屋
あなたの生長にともなって
くるくると変わるたくさんの部屋を
引きずられるようにあたしはめぐり
歩いた。



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そして、最後の部屋までたどりついて


ねえ、
ピカソのおじいちゃん
あたし、
わかったの。

わかったことがあるの。


あの完璧な古典的な油絵も
わけのわからないかたちも
底ぐらい水色の世界も
まるでさまようみたいに繰り返される作風の反転、また反転につぐ反転、
実験装置みたいな手法のうずまくめちゃくちゃならせんは

ぜんぶは、この場所にたどりつくために必要な通り道だったんだね。



最後の部屋。

まるで子どものなぐりがいたような稚拙な線描のならんだ部屋には
ただ、緑の木々と水と豊満な裸体があふれはねかえり、
あけっぴろげな性と、ときはなたれた自由なよろこびがあった。

あたしは泣いた。


おめでとう
よかったね


あたしは泣いた。
稚拙にエロティックな象徴がびっしりと並ぶ最後の部屋で泣いてた。
そこには、あんまりにも、生きるよろこびが充満していたから。
おじいちゃんになってたどり着き取り返した、あなたの奔放な力。
よかったね
めぐりめぐってたどりついたらせんの最後の、エロス。
壁に刻まれた何万本もの線のひとつひとつが
部屋の中に立ちすくむあたしに語りかけてきた。
生きてるのが楽しくてたまらないと。


あんな死に絶たえた絶望した場所からここまで辿りついたあなた


  あんた凄いよ
  ほんとに凄いよ


よかったね、よかったね

あたしはもう、ばかみたいにそう言うことしかできなかった。
淡いチョコレートとピンクの家のなかで、たくましい黒人の警備員の男女に見守られながら
自由気ままに奔放なダンスを踊りまくってるあなたに。


そこに置いてきた、予想もしなかったひとしずくの涙。




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そのときからあたしはピカソという絵描きをちょっと好きです。



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message:


 読んでいただいてありがとうございました。
 あんまり長くてごめんなさい。
 この長たらしい言葉の群れのどこかが、もしもなにか、
 あなたのどこかにひっかかることができたならうれしいです。


 あいかわらず、あたしは妙にただしく闘病しています。
 律儀に、からだの中に火を飼って。
 機械も半分こわれたまんまで、もしかしたら悪くなってて、
 でも、からだ半分同士をひきずって、なぜかぼつぼつとことばを書いています。
 おい、大丈夫かよ?
 そんな言葉を内心よびかけながら。

 
 ここにあるのは、まったくの個人的解釈です。
 あたしはピカソの研究をしたこともないし、その生き方を知っているわけでもない。
 ピカソ美術館のあちこちに説明書きはありましたが、なにしろ
 スペイン語もカタルーニャ語も読めなかったからわからなかった。(笑)
 もしかしたらまったくの勘違いかも知れません。

 ただ、あたしは、そう感じた。

 子どもの彼が描いた「天才的絵画」を、ひどく寒々しくおそろしい世界だと思った。
 そして老齢になって彼が描いた「なぐりがき」をみて、祝福したくなった。よかったねと思った。

 それだけのお話です。

 さいごに、言葉の意味をふたつ。

 カタランとはカタルーニャ語のことです。
 スペインの方言のひとつとでも言えばいいのか、
 いわゆるカタルーニャ地方で話されている言葉をこう呼ぶそうです。
 ただ方言と言っても大分趣きは異なるようで、
 何かというとこのふたつの言葉は並べて記されていました。
 読めないあたしにも、見た目からしてちがうことだけはわかりました。
 日本の美術館の絵画展で、日本語と英語とフランス語が並んでいるみたいに
 そこではスペイン語とカタランと英語が並んでいます。
 
 パティオというのは中庭。四方を家や壁に囲まれた空間程度の意味ですが、
 このパティオがスペインにはいっぱいありました。
 噴水とか鉢植えとか檸檬の木とか、きれいな絵皿で飾られたひとすみです。
 大袈裟にいえば路地裏のまがりかどをひとつ曲がるたびに、
 あたしはよく似ていて異なる、千差万別のパティオを通り過ぎました。
 自分たちのパティオをどれだけ美しく飾り付けるかが、
 そこに住んでいる人の誇りなのだそうです。


 それでは


 どうぞ、お元気で、


 おだいじに。



 まなほ
 
 


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