『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年06月23日(日) 誰かのための花束。


ワールドカップの真っ赤に波立つ応援席もいいけれど、
暗闇の中でほのあかるくうかびあがる
うすももいろのあの釣鐘のような花のこともわたしは記憶に刻み付けておきたい、

と、思う。


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  6月23日待たず 月桃の花散りました ふるさとの花


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今日は、沖縄の日です。
沖縄決戦終了の日、投降の日。

8月15日ばかりが有名で
12月8日がうずもれているように
6月23日というこの日付も、また、
ちいさくちいさく
うずもれているような気がします、365日という一年間の日々のなかに。


誰も、ひとが死なない日なんて、一日たりともありはしないのです。

ひとが、ひとを、殺さなかった日も、やっぱりありはしないのです。


ただ。
ひとが、ひとを、殺すのをやめた日。
ひとが、死ななくてもよくなった日。
そういう日も、幾日となくあり、
365日のなかでひっそりと息をしているのだろう。
わたしはそれを、知らないけれど。

たとえば
だれかが、もっと、ひととして生きようとした日。
わたしの誕生日は、そんな日だったようです。
ロシア革命記念日。

ソ連という国が消えたと同時に、消えた日。


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昨日、展覧会を見にいきました。
知り合いが出展するというので
久しぶりに、絵を見に行きました。

わたしは、絵を描くのは好きだし、ものをつくることも好きなのに
展覧会のようなものには、滅多に足をはこびません。いつからか。
そこにまで足を運んでゆく原動力というものがすっぽりと
自分のなかから抜け出して行ってしまったらしく。ただ、
知っている誰かがそこにいる、という口実がわたしを動かすだけになりました。

エンターテイメントが、毎日から消えていく理由。
それは、わたしがひとりじゃ何もしようとしなくなったから。
ただただ自分の楽しみだけを理由に足を運んでいく力を手放したらしい、それだから。

「まるで半分死んでるみたいね。」

くすり、と笑っても、
言葉ではなんとでも、言える。
楽しみだけを理由になんでもしているように
傍からは見えるでしょう。


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自分でえらんだ花を持っていきました。
サトくんのときも、そうだったけれど、わたしはやっぱり、
誰かに花をあげるときは、一本一本を自分で選んで摘み取りたいと思います。
誰か。
誰か。
その誰かがなにか特別な誰かであればあるほど
そう思います。

藍色のブルーファンタジア。
ころんとして紅いストロベリーキャンドル。
名前を知らない、みどり。
それでかこまれた、まっしろなバラ、2輪。

花屋さんにお仕着せで頼むと、こういう色の組み合わせの花束は滅多に作ってもらえないから
一輪一輪、花を投げ入れてある銀色のスタンドからえらびとって組み合わせて
ひとつの花束を編みました。
白いりぼんを結んでもらいました。

先の三月。ともだちの誕生日にも、やっぱり花を編みました。
黄色いスプレーバラと、うすい黄色のりぼん。

サト君には、ただ、ひとかかえもふたかかえもあるコスモスを、あたしはあげたかった。
風にそよいで雨に打たれてしなだれて踏みつけられて
それでもまた立ち上がる、
うすもも色に、濃いもも色に、ふるふると震える、でも強い強い花を、
あたしは、
あげたかったな。

いつのまにかそれは、墓前にそなえる花になってしまった。
あなたに届くわけではない花に、なってしまった。
それでもわたしは
あなたに、ひとつの花束を編みたいと思いつづけて、ここにいる。

この手で、あなたに、
ひとかかえの花束。


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月桃の花を知ったのは2年前の夏くらいで
沖縄を舞台にした映画のタイトルテーマ、でした。
うすくらがりでぼうっと光るようにきれいでした。
でも野性味あふれて、その筋も茎も繊維もなにもかもが役に立つということでした。
確か、そういう花でした。

焼け野が原になった沖縄を、わたしなんか知りません。
それはいくら知ろうとしても、届かないことのひとつです。
でも、届きたいことのひとつです。


台風直撃を覚悟で宮古島をたずねた折、
碧の海とまっしろな砂浜とがらすのかけらを拾いあつめて
茶色く乾いたさとうきびの森の中を歩いて、シークワシャーを齧って
そうして嵐が来て。

案の定、帰る予定の日に飛行機は飛ばず、道は川のように雨水があふれて
わたしは泊まっている宿の部屋にこもって
大風にうねる外の風景をみていました。
それから見慣れない天井とを、ベッドに寝転がって、ずっと見ていました。
一緒に泊まっていたのは出稼ぎにきた建設屋のおじさんたちで
ごはんにはアーサー汁や沖縄のおそばを出すような、素朴な宿泊施設でした。
決して、リゾートなんかじゃない沖縄のうちでした。

本島までやっとのこと戻った翌日。
戦跡めぐりをしてくれたタクシーの運転手さんは
英語なまりの日本語を話していました。
沖縄の旧陸軍大本営跡の、その場所は、
岩をけずりとって掘られた、複雑に入り組んでねじまがる細い通路でつながれた暗い洞で、
いたるところから、水がしたたっていました。

「ここで生きていたひともいるのだ。」

遠い昔のお話のように、でもホラー映画よりも生々しく
現実は遠くて、そうして肌に触れてくる闇は怖かった。
ひととおり通路をくだりのぼり、足元をすべらせながら
やっとのこと、逃れ出てきた外の世界は、青くて、青くて、碧かった。
まっしろな太陽。
焼けつくお日さま。


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57年目の今日。
日本と韓国が一緒になってサッカーの世界試合なんかを主催している。

こんな風景を、誰も、想像なんてしなかったんだろうな。
だあれも。


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展覧会でみた絵のなかに、「蔓」という絵がありました。
銅でできているみたいな、植物でした。
すこし、気に入った、絵。
その隣の、ぼんやりとした、粘土色の薄灰色の水色の、絵。


「うすみどりの芽が海の砂漠から伸びてくるの、それで花を咲かせるの、
 でもその砂は水でできているの。でも砂なの。でも海なの。海の底なの。」


こんな、拙い感覚で、
それでもことばがつうじたなら


わたしの選んだあの花の色は、たぶん、まちがっていなかったんだろう。


まっしろに咲いた花と
とりかこむみどりと青紫と
でも、
そのなかに降りかけられた、ひとしずくの紅。

あかいいろが好き。
いつも、どこかにひそんでいる、
そうして何かをささえている、
あかいいろが、好き。


月桃の白い花びらのなかにも、ひっそりとあかい色が沈んでいると思う。
6月23日を待たないで
散ってしまったという、花だけど。


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  ねえ。わたしのなかにもあかいいろはあるね。
  血、という名前のつけられた
  とてもたくさんの「きれいな」あかいいろが、
  ほんとうは、あるんだよね。


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日付になんて意味はないかもしれない。
でも、あの乾いて重たい空気の下に、たくさんたくさんたくさん流されただろう
たくさんの人のからだのなかにあった、たくさんのあかいいろのために
わたしは今日を
おぼえていられたらいいと、おもう。

「せんそうはまだおわらない。」

なんと言われても。
紺碧の海とまっしろな砂浜とまぶしいひかりと
あつくてやさしいものだけが、あの島を作っているのじゃないと
おぼえていられたら、いいと思う。


あなたがやさしさだけでできているのではないように。

わたしが病気だけでできているのではないように。

すべてのことばがあなたと共有できるわけではないように。




2002年6月23日、記  まなほ


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