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■ (日記) とても悲しい……。
あれは2004年の初秋の頃の事……。
アタシは当時、浅間温泉にある場末の旅館に隣接されたスナックで、パートをしていた。 無駄に広い店内には、成金趣味的な巨大なスクリーンと最新版のカラオケ設備があり、今更ながらミラーボールなんかも回っており、春には桜の造花や夏には色とりどりのミニ提灯、秋にはこれまた造花のモミジ、冬にはとても趣味が良いとは言えぬクリスマスの飾り付けなどが施され、正に昭和を彷彿とさせるような、いかにも和洋折衷の田舎風情のスナックだった。
昼の部と夜の部に分かれていて、随時2人体制で店を回していた。 芸者上りの70代のお姉さんや、近所の暇そうな主婦などを使っていたが、当時50近いアタシが一番若いと言う、ちょっとお客様には申し訳ないようなスナックだった。 その店には旅館の宿泊客がたまに来るくらいで、後は近所の爺ちゃん婆ちゃんが、自分たちで漬けた漬物などを持ち込み、昼間からカラオケを楽しみに来るという、半ばなぁなぁ的なスナックだった。
ある日その店に恰幅が良く、品の良さそうなご老人がみえた。 そのご老人は青嶋さんと言い、旅館のご主人のご友人のようだが、ご主人が留守だったのでアタシがお相手した。 青嶋さんは長年新聞記者をやっていたそうで、当時WEB日記を書き始めたばかりのアタシは、青嶋さんの話に興味を抱き、物を書くコツの様な話を教えていただいたりしながら、お話が盛り上がった。
「実は私も最近書くことに目覚め、WEB上でエッセイ日記みたいなものを書き始めたんですけど、文章がヘタクソで・・・・・・」と言ったら、是非あなたが書いたものを見せてくださいと言うのだ。
後日モジモジしながらお見せしたら、「あなたの文章は中々面白い。私は記者を引退して、今は木曽春秋と言う同人誌の編集をしているのだが、あなたの書いた日記を是非載せさせてほしい」と言ってくださったのだ。 他の方からは多少の出品料を頂いていたそうだが、諸事情を知っている編集長は、アタシの作品は無料で載せてくれていた。
4〜5回ほど載せていただいただろうか……。 その頃、チョットしたアクシデントが立て続き、アタシは精神的に物を書く余裕がなくなり、原稿を送る事ができなくなって、そのまま放置状態という不義理をしてしまったのだ。 やがてアタシはその店を辞め、今のからくり箱を持った。
ある日ドアを開け、「あなたの事を探したよ…」とご学友と二人連れで入ってきた青嶋さんの顔を見た時、アタシは思わず涙を流してしまった。 「その節は不義理をしてしまい、本当に申し訳ありません」 アタシは平謝りに謝った。 「なぜかあなたの事が気になって仕方がなくてね……。良い感性を持っているので勿体ないと思っていたんだよ・・・」
そんな事があり、時々からくり箱を訪れるようになってくれた青嶋さんに、アタシは悩みなども打ち明けたりし、父のように慕っていたのだ。 青嶋さんはいつもニコニコしながらアタシの言葉を聴いてくれ、時に厳しくも温かいアドバイスなどもくれるのだ。 歌の仕事で一回だけだが、アタシを使っていただいた事もある。 何かでお役に立ちたいと思っていたのだが、アタシに何も出来る訳もない……。
後に古い書物や古い映画に大変興味がおありだと聞いたアタシは、祖母が出演していたトーキー映画(松下村塾)のビデオテープをお貸ししたのだ。 祖母は吉田松陰の母親役で出演していた。
その後、もう一度ほど青嶋さんがお見えになった頃、「最近心臓の具合が悪くてねぇ…あまり飲めなくなってしまったよ」と言うお話を聞いた。
その来店が最後になり、ずっと何年間も音沙汰がなく、青嶋さんの具合も気にかかっていたし、そのビデオはマイミクのアネモネさんがアタシにプレゼントしてくれた大切な宝物で、アタシにとって、祖母の形見の様なものなので、それも気になってはいたのだが、具合が悪いと言うのに、こちらから連絡をするのは、ビデオの催促をするようで申し訳ないような気がし、ずっと連絡を取らずにいたのだ。
そんな青嶋さんから、今週の月曜日、からくり箱に電話があった。 その途端、涙が……。
お客さんが大きな声でカラオケを歌っていたので、指で片方の耳をふさいでも青嶋さんの力の失せたかすれ声がよく聴きとれない。 アタシは少々いらつきながらも、カラオケを止めてもらう訳にもいかず、聴き取れる分だけ聴きとろうと必死で受話器を耳に押し当てた。
「私はもう力尽きました。もうそろそろあちらからお呼びが掛かりそうなので、今身辺整理をしていたところなんですよ……。あなたにずっとお借りしていたままになっていた、松下村塾のテープをお返ししたいと思ったんですが、送り先の住所が見当たらなくて……」 そこまでようやく聴きとった時、アタシは堪らなくなって嗚咽してしまった……。
「私もいろいろあったの!! 大変な病気になってしまったの!! 苦しくて怖くて仕方がないの!!!これからどうすればいいの!? 青嶋さんにたくさん話を聴いてほしいの!!!! 青嶋さんに頭をなでて、ヨシヨシ!!って優しく身体を揺さぶってほしいの!!!!!」 アタシはそう叫びたいのを必死でこらえた。
しゃくりあげながら住所を教え、「まだまだ話したい事がたくさんあるんだから、死なないで長生きしてくださいね」 やっとの事でそう言い、電話を切った。
青嶋さんからビデオが送られてきたら、最高の心をこめてお礼の手紙を書こうと思う。 アタシが青嶋さんに送る、多分最後の原稿になるかもしれない……。
※ 今朝がた、木曽春秋に原稿を送っていたいた時期を調べたく、木曽春秋 マキュキュと検索していたらこんなツイッターに巡り合った。 ツイッターは登録こそしてあるが、ほとんど放置状態で見ていなかったのでお返事も書けず、申し訳ない事をした。
でも嬉しかったなぁ……。
奏太のじいちゃん @_140125488457 @maququ マキュキュ様、娘が信州大学にいたころ松本市内を散策しました。なぜだか分りませんが、街の雰囲気が好きになり何度も通いました。娘は結婚して長野市にいます。
奏太のじいちゃん @_140125488457 @maququ マキュキュ様、木曽春秋にてあなたの文を読ませていただきました。ほとんど全部だと思います。文章を書くのがとても上手い方だなと思いました。
2012年05月10日(木)
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