ジョージ北峰の日記
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2003年03月16日(日) |
雪女”クローンA”の愛と哀しみーつづき |
ホテルのロビー近くに位置する喫茶コーナーにある、ゆったりくつろげるソファーはどの角度からも中庭が望めるよう配置され、人々の心を癒す工夫が凝らされていた。静かな音楽が辺りの雰囲気を一層優しく柔らかく包み込んでいた。 彼女は無造作にジーンズ、赤いシャツに白い靴と、はっとするような姿で現れた。一瞬、周囲の人達の視線が彼女に集中した。金髪の髪、色白の皮膚、日本人とは思えない容姿に、それがとても美しくはえて映ったのだ。私が助けた田舎のーーあのA子が本当に眼前の彼女なのか?暫くは信じられない気持ちだった。 A子が語るには、彼女の母は村から移民でk国へ渡ったが早くに家族を失い途方にくれていた時、X国の科学者と偶然知り合い結婚したとと言う。そして産まれたのが自分だったと言う。 とすれば、君はハーフなのかーーなるほど。で、それから? 父は科学者だったけれど、母と結婚、私が産まれると同時に、考えがあって日本の田舎へやって来た。母はA子が物心つく前に肺癌で亡くなり、母の顔は写真でしか知らないと言う。その後、父は随分苦労をして彼女を育てたが、昨年A子が看護婦の資格をとったのを知って(とても喜んでくれたが)、やはり癌で亡くなった。A子は天涯孤独でもう何処へも行く所がない、しかし彼女は一生のうちで、一度でよいから自分の人生を意義ある目的の為に精一杯使ってみたい、だから先生のように確乎とした意思を持って活躍している人を見ていると、とても羨ましい、と何か思いつめたように話した。 小雨に濡れる中庭の中央には池、石灯籠、背景には形の良い築山(つきやま)、周囲には木や竹が何気なく植樹され、その調和のある、落ち着いた静かなたたずまいは、あたかも京都嵯峨野の自然を模して設計されているかの様に見えた。雨模様に喜んだ鯉の群れの動きは一段と活発になり、勢いあまった緋鯉が時折跳ねるのが見えた。 III A子が診療所へ来てから半年が過ぎようとしていた。彼女の仕事に対する情熱はなみなみならのものがあり、ほんの短期間のうちに診療所で必要な仕事はすべて把握し、且つてきぱきさばく要領を会得してしまった。そして、朝、昼は仕事、夜は医学の勉強に余念がなかった。私自身も彼女に刺激を受けた事は言うまでもない。秋の学会で必要な材料がこれまで以上充実した内容になったのもA子の努力に負うところ大であった。 ある日曜日の朝、急患の診察がすんで、A子と朝食を共にする機会があった。彼女は手早くトースト、ハムエッグなど朝食を準備すると、得意のコーヒーをサイホンで入れてくれた。 窓の外には、秋の澄み切った青空、風に揺れる黄金色の田園、山手には寒冷地特有の燃え上がるような濃淡豊かな黄、赤の紅葉、それに緑の木々が錦を織りなし、合間には茅葺き屋根の農家が垣間見えた。 今回は以前にも増して充実した学会準備が整っていたこと、また久しぶりに女性が作ってくれた朝食、サイホーンコーヒーのすがすがしい香り、苦味を包み込むようなまろやかな味、爽やかな秋風、昔ながらの農村の風景ーー私は束の間の開放感、幸福感にのびのび浸ることが出来た。 彼女もリラックスした様子で、食事をしながら患者のこと、最近見た映画のこと、歌手のことなど色々話していたが、突然話題を変えて優生・劣性の遺伝疾患の形質発現について教えて欲しいと言った。 つづく
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