ジョージ北峰の日記
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2003年08月10日(日) 雪女、クローンAの愛と哀しみ

RIOの海岸は大西洋に面している。大西洋についてはバスコダガマ、コロンブス等、大航海時代の偉人伝で学んだり波乱万丈の冒険小説で読んだりして漠然と知ってはいたが、しかし私にとってそれは想像の世界だった。本当の大西洋は私の抱いてきたイメージとは大分異なっていた。海水の色は薄く透明、さながらブルー・トルマリンのような藍色に輝き、浜辺に寄せては返す波は太平洋に比べると一段と優しく、とても暖かい印象を受けた。
 海岸には逞しく日焼けした若い男女がはちきれんばかりの水着で散策する姿、又人生にゆとりの出来た老夫婦が休んだり、話したりしている姿に、さすがは世界のリゾート地、随分豊かな生活水準の人達が集まり住んでいるな、との印象を受けた。
 しかし一方では日本でも戦後よく見かけた靴磨きの子供達が見受けられ、人々の生活にかなり貧富差のあるらしいことが容易に想像できた。私達が朝の浜辺を歩いていると、年頃5,6才に見える黒人の男の子が重そうに靴磨きの道具を一式ぶら下げ、靴を磨かして欲しいと近づいてきた。OKのサインを送ると見よう見まねで覚えたのか一生懸命磨いてくれる。仕上げは上手いとは言えなかったが料金を払ってやると、思っていたより額が多かったのか嬉しそうに目を輝かせ、白い歯を見せ、道具を手早く片付けると、ぎこちなく手を振りながら足早に帰っていった。
 優しいのね、とA子。
 あんなあどけない子供が働いている姿を見ると、つい可哀そうになるの  だ。
 確かにあの子は幼すぎるけれど、この国では子供が親を助けて働くのは当 たり前のことだから、あまり甘くしない方がいいのよ。
 彼女はいつの間にか、驚くほど大人びた口調で話していた。でもあなたが 子供に優しくする姿を見ると、何かほっとするの、と言った。
 子供など、望むべくもないと思っていた私にとって、クローン人間に子供が出来たと言う、本当に信じられない夢のような事実に、心底、神に感謝の祈りを捧げたかった。
 元来A子は誕生の経緯もあって、議論になると、神の存在など全く信じないと主張することがあった。人間存在だって、そんなに貴重なことかしら?いくらでも人工的に作り出せるじゃない!と反抗的な言葉を吐くことさえあった。
 それじゃ、君が医療を仕事に選んだのは、自分の意見に矛盾するとは思わ ないかい?
 私は、クローンとはどんな生命体なのか、普通の人間と何が違うのか
 本当に知りたかった。だから、以前あなたに色々尋ねた事があったでしょ う。
 姉(と呼ばせてね)は癌で早く死んだ。父はそのことが心配で、クローン 人間の作成にあたって癌抑制遺伝子で治療したそうなの。私は遺伝子治療 を受けたクローンらしいのよ。しかし父は、その効果のほどについては予 測できなっかたのね。だから、出来るだけ早く社会に出たほうがよいと私 には薦めてくれたの。おそらく父は私の命が短いのではと恐れていたの  ね。
 私は無意識にクローン人間について理解してくれそうな人、私を助けてくれそうな人を探していたのね、そして偶然あなたにめぐり合ったわけ、と言って一息入れた。そして私はあなたに初めて会った時、子供ながら何故かとても気に入ったの、この人ならどんなことでも我慢して聞いてくれる、と本能的に理解したのね、と付け加えた。
 しかし、今回の妊娠だけは、彼女にとってもこれまでとは少し事情が違っていた。彼女の体内で起こるかも知れないこれからの出来事については誰にも予想の出来ない、予断を許さないものだっただけに、神にも祈りたい気持ちだったのだろうか?素直に神に祈りを捧げたかったのだろうか。私は心の中で彼女の変化に拍手を送りたかった。
 だがこれから先、2人に起こる地獄のような不安なや苦しみについては、この時の私達には知る由もなかった。
 コルドバの丘のキリスト像は遠く青空にくっきり輝いて見えた。
 RIOのカーニバルに参加したいと残念がっていたA子だったが、今回めぐり合わせた、思いがけない幸運に、そのこともすっかり忘れてしまったかのようだった。     つづく


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