ariの時々日記

2002年10月23日(水) 偉大なる母。

私の母はいつも厳しかった。

物心ついた頃から、水泳は習ってた。
物心ついた頃からピアノも母に習ってた。
小学校入学と同時に電車で渋谷まで行ってソルフェージュ(楽典)も
習い始めた。
小学校に上がり、書道も習い始めた。
週に2回、知り合いのおばさんに算数を習い始めた。

月、水が算数。
火、金が水泳。
木曜は書道。
土曜はソルフェージュ&ピアノ。

私の小学校の思い出はほとんど習い事。

小学校5,6年生になるとバスに乗って友達と遊びに行きたくもなった。
乗り場は私の家のある団地の真ん前のバス停。始発。
終点が吉祥寺。バスで15分の吉祥寺。
母に何度も
「○○ちゃんとバスで吉祥寺に遊びにいってもいい?」
と訪ねたけど、許されたことはなかった。

初めて友達とバスに乗って買い物に行けたのは中学校2年の時。

習い事には一人でバス、電車にのって渋谷まで行っているのに、どうして
友達と一緒に遊びにいくのはいけないのか。。。?

そんなわたしは高校3年生で恐ろしいほどの変化を遂げる。
遊びにいってそのまま朝を迎え、持参した制服を駅のトイレで着替え授業へ向かう。。

短気大学に合格もしたはいいけど、3ヶ月で中退。
それから半年後妊娠。

突然の妊娠、相手が17歳も年の離れたアメリカ人。
母は私の夫となる人に
「娘が好きなら、一緒になりたいと思っているなら
どうぞ幸せにしてやってください。
でも子供が出来たから結婚するならお引き取りください。」
と、口べたな父に代わって言った。
母は、私の事、嫌いなんじゃなかったんだ。
ずっと小さいうちから「将来のこと」を心配してくれてたんだ。

現在、母は足が悪く、歩く代わりに車を乗り回している。
車で1時間かかる我が家にも月に1,2度は孫の姿を見に遊びにくる。
そして食べきれない程の食料を孫達の為に車のトランクから家に持ち運ぶ。
妹も来月出産するが、
「やっぱ、初孫と3人目の孫との扱いがちがうよ。」
と笑っている。(んなこたぁ、ないとおもうけど。。)

当時はイヤな事が一杯だったけど、母のおかげで救われた事が沢山ある。
礼儀作法もそのひとつだし。
おかげで面接、というものすべてに落ちた事がない。
バイト、学校、すべての面接に。

私はまだまだひよっこ母だけど。
母には及ばないけど。
将来、娘達に「ありがとうね」と思われる事を一つは残したい。
何も出来ないかもしれないけど。
けど、私の気持ちは分かってもらえると信じている。

あー。母ってなんてすごいんでしょね。
テレビの番組を見てふと気づいた今日この頃。
て、今日気づいたのかよっ。
そして、未だに母のことを「まま」と呼んじゃってるちょっとかわいい
私。。。えへ♪(バカ)
ちなみに父も「パパ」
我が家のくそ生意気な犬は「りゅう」
あ、聞いてないか。つか、関係ないし。





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