| 2004年04月05日(月) |
キャシャーンがやらねば誰がやる〜? |
はぁ〜い!おやつ時から会社を抜け出し観てきましたよ『キャシャーン』。 込んでましたねェかなり、で、長かったですねぇ2時間20分は!細かい事は後ほどですが、長いと感じさせてしまうと言う事は「・・・」ですね。柳下さんは「この作品を裁いちゃいけない」みたいな言い方をなさっていましたが、それはどう言う事かと・・・。全然関係ないのですが会場係で妊婦が働いてましたよぉ?
『キャシャーン』:しょっぱなから物凄いメッセージ込めちゃいましたねェ桐谷さんは。それも直球=‘言葉’で。しかしながら、その直球が、映像の造り込と馴染まず、一本の映画として、なんだかバランスを崩している。それだけでは無く、「これまでの映画の文法超える斬新さ」を求めながら、同時に「グローバルで普遍的なメッセージを自分なりの表現で伝えようという意気込み」、(今の日本でそれなりの規模の映画を作ろうと思うと)「息なりこの規模の作品を任された異業種参入新人監督の彼は、次回のことなんか考えずにこの一作に全てを注ぎ込むしかない決意」、「題材となる「キャシャーン」を含む’70〜80年代のヒーローものに対する思い入れ」の各々が、完全にでは無く微妙にズレ合っていて、それを2時間20分見せられるのは辛いかなぁ。
特に、映像を見せる事にかなりの力点が置かれて、役者の演技・間・行間と言ったものを忘れ、重要な点の殆どを「死」であったり「戦争」「神」「生命」「人間」「生きる」など、安易に言葉を使って伝えようとしてしまっている、と言うよりむしろ逆に言葉のチカラを侮りている。これは、映像出身だからかな。また、後半は途中で意図的に無音にしたりするのは、言葉のチカラの恐ろしさに気付いたからか?まあ、この行間や間が無いと言うのは本人が「70%は絵コンテ通りです」と言ってのけている時点でむべなるかなである。
また、この造り込や、むき出しの‘言葉’が、押井守のように情報量をUPさせようと思ったのならそれもお門違い。押井による言葉の使い方は、作品の世界観や画との関連性、キャラクターの性格など、作品と密接にリンクしているし、謎掛けだったり比喩的だったりとめったに直球である事は無い。聖書だろうが、シェイクスピア(シェイクスピア劇を殆どみた事のない私でも「ぽいっ」と感じるシーンが有った)だろうが押井は露骨には使わなかったし、きちんと消化してから作品に反映していた。画面の中の情報量を濃くするのは理解出来るが、言葉に於てはそれは一概に良しとは言えない。
アクションが日本のコミック的にこだわったと言うが、そこに香港アクションもしっかり消化してこそ斬新な表現、次なる表現が有るってもんでましょ?そら、チャンバラ入れりゃイイって部分も有るけど、ドンパチ、チャンバラ、マーシャルアーツでアクションを組むならもっと斬新な殺陣を考えてほしかった!
同じ80年代文化に浸っていたチルドレンとしてその表現は余りにも痛く解る。宇多田ヒカルなんてはやりの嫁さんを捕まえたが、唐沢寿明を配役したり、押井との対談に感激したり、彼の根底にはMTV80年世代のオタク魂を見て取った!特に、今回のキャシャーンは人類でも無く新造人間でも無い異端である。ティムバートンもピータージャクソンも、異端を描く事で王道に行ったが、王道を歩む前にいくつもの経験を積んでいるのだ。桐谷は、もっと肉体とストーリーの有る作品を何本か撮ってからこの作品に向った方が良かったと思う。
ともあれ、この規模でこの原作と配役と造形は新米監督としてはがんばっていると思う。似た様なテーマになりそうな東映の「デビルマン」がコケる気満々なのを考えると、それよりはイイ結果が出るのでは無いだろうか。ただし、最大のネックは2時間20分と言う長さ。後の裁きは客が付けてくれるさ。PVにしちゃ金がかかり過ぎだよ。
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