超雑務係まんの日記
DiaryINDEXpastwill


2002年05月12日(日) 岐路

就職をしようか、大学院へ進もうか。
本気で考えた時期があった。

文芸評論の世界へ憧れていた僕は、
大学時代せっせとその系統の論文を読みあさっていた。

大学の図書館には世に発表されてる文芸関係の論文がほぼ揃っていた。
環境として何一つ不自由はなかった。

学校から近かったので国会図書館へも、よく通ったものだ。
明治時代の雑誌を読むのははココが一番早い。

当時の私は明治擬古文もスラスラと読めたものだった。
平安仮名もけっこういけた。
(万葉かなと室町・江戸時代のものは読めなかったケド)


大学院の1次試験。
英語と論文(4000字程度)だった。
とくにこの試験の為に準備したわけでもなく、
普段勉強していた事を書いただけなのでサラッと退出。

合格発表板に僕の名前はあった。
さぁ、次の2次試験は面接。
この面接で落ちる人は一人もいないという。


当時、主流だったテクスト論、もしくは作品論。
ロラン・バルトが『物語の構造分析』(みすず書房)で「作者は死んだ」と言った。

クリステヴァ、バフチン、ロトマン、フーコー、ラカン、前田愛、小森陽一、石原千秋。。。
この素晴らしい学者たち。未だに僕の中ではヒーローの存在。
世の中の宝物、しかも唯一で最高の論文ばかり発表していた。
僕は先駆者たちの後を継ぎたかった。


でも、面接には行かなかった。

当時の僕は、こう感じてた。
上記の学者たちの本を知らないなんて人間じゃないと(笑)

だが実際は誰もバルトやフーコーや石原千秋なんて知らないよ?

ふとした拍子に狭い世界なんだなぁ、と淋しく思った。
そして同時に「文学で世の中は変わらない」と実感した。

世間では吉本ばななや村上龍が売れていた。
もう文学なんて、どこにもナイじゃんか。

。。。ってね。


はは。
大学院に行ってたら、今の僕はまだ学生なんだよねぇ。
どっちがヨカッタんだろう。

本当は勉強がしたかったのかもしれない。


まん |MAILHomePage

My追加