超雑務係まんの日記
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向田邦子という作家は、すでに過去の人だろうか。
「時間ですよ」などの脚本を執筆してる事から、 イメージ的には人気テレビ作家という人物像が強いかも知れない。
作家論はあまり好きじゃないけど、 僕の大好きな向田邦子について少し書きたいのです。
邦子には新人のシナリオライターだった頃、恋心を抱いていた彼がいた。 仕事を終え、毎日のように彼のもとへ通う邦子。
しかし、彼には妻子がいたのだった。 幸いにも別居中だった彼。 職業はカメラマン。
ここで一つ重要で不幸な事実があった。 彼は脳硬塞で下半身が不自由だった。
邦子は毎日、彼のために仕事を終えてから料理に腕を奮った。 日々、彼のために、自慢の献立を、そう毎日毎日。
刺身、豆腐の味噌汁、胡瓜の酢のものなど、 素朴なメニューだが彼はとても喜んでくれた。
そして
とうとう、彼の離婚が成立した。
邦子は言った。 「これから一緒にごはんを食べようね。何千回も何万回も。」
そうこうするうちに、邦子の作品が市場の脚光を浴びてくる。 多忙のあまり、帰宅が深夜になる邦子。 足の痛みが日々ひどくなってくる彼。
必死の思いでやっと締切りの原稿を下ろし、気づいたらもう夜はかなり更けていた。 バタバタと急いで彼のもとに向かう邦子。
玄関を開けてみると、 彼は充満したガスの部屋で、独り息を絶えていた。
邦子についてはさまざな議論があるが、 僕は向田邦子という作家は幸せだったような気がする。
恋愛という視点からの生涯はとても有意義だったのではないか。
偉そうな事を言わせてもらえば、 愛や恋は、ちょっとした覚悟のような気がする。
けれど、 どちらかに覚悟が欠けていた場合、恋愛は、やはりゲームになってしまう。 テレビゲームのように勝ち負けか、もしくは引き分けが成立し、 気分によっては再チャレンジが何回も可能。
そしてゲームであったが故に振り返れば、 当時を後悔し、反省し、また思い出し笑いなどもしてしまう。
覚悟がないからこそ、自然に消滅するコミニュケーションが存在するのだと思う。 悲しいことにゲームはいつでも、自分の都合でリセットができるからだ。
話しを邦子に戻す。
世の中に作品が評価され、作家という地位を確立し、 名誉ある直木賞までとってしまった邦子。
だがその翌年、飛行機事故であっけなく他界してしまう。
邦子の生涯とはいったい何だったのか。
邦子が売れないシナリオライターだった頃の彼との食卓風景が、 僕は見たこともないのにナゼか幸せそうな気がしてたまらない。
きっと言葉では表現出来ないその風景。 決して気分では左右出来ないその光景、決してリセットなんか出来やしない。
もしかすると邦子の脚本の多くには、 いきいきとした食卓シーンが多用されてるのは偶然じゃないかもしれない。
さぁ、幸せとか不幸とかって、誰がどう決めたのだろうか。
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