あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2002年07月04日(木) 花を踏むひと



少しずつ、詩を、書いてみる。
僕は断じて努力家ではないから、駄目な時は駄目だってきっぱりあきらめてしまうことのほうが多い。
だけど、書けるような気がするから、書いてみる。
僕の努力なんてこんなもんだ。


詩を書かなくなりだしたのは、
自分の詩が理屈っぽいなぁと思いだしてからだった。
それが原因、という訳じゃない。
でもそういう目で見ていると、それから僕の書く詩はなんだか作り物っぽかった。
僕は理屈の通らないことが嫌いだ。
理屈を説いても理解しない相手はほとんど嫌いだ。
そんなことの延長線上に詩があるはずはない。
でもこの感性は、ひいては好き嫌いに帰着するものだから、
そんなで詩を書いていてはいけない、と思った。
否、思ったのではない。
そんな気が、今、するだけ。


言い訳を始める時、僕の心はそれをいやがる。
そして口をつぐんでしまう。
それでも言葉は、心かその辺りにあふれるから、
その言葉をどこかに遣らないでは僕は動くことができない。
僕にとって、書かずにいられない詩を書くということは、そういうことだった。
言葉を、
少しずつ、
捨てていく仕草。
捨てていくものだから、それが一体誰のものなのか、僕はときどき見失う。
そして他の誰かの詩も、捨てられているように見えてしまったりする。
ばらばらと、
誰かが歩み去る後に、
散ってゆく花びらのように。

そして僕は時折しゃがみこんで、
草むらの上に散った花を拾い上げ、遠い目をしてみたりする。
あぁ、
この花の容は、
僕が捨ててきたものに似ている、
と。



↑それはそれで、うつくしい。
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周防 真 [MAIL] [HOMEPAGE]

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