あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2002年07月05日(金) ゆるすことなんかできない



なんとなく、題名を書くことからはじめてみたToday's日記。
後輩さんのメルアドが変わっちゃったらしく、連絡が取れない。
ちょっと困ってたり。
でもそれは題名とは関係ない。
母親が風邪を引いてて、そのくせ仕事だとかコンサートには行ってる。
家では『もうだめー、死ぬー』とか言ってるくせに。
うちは「病人絶対」のルールがあるから、否応なく服従させられてたり。
でもそれも題名とは関係ない。
「ゆるす」って、何なんだろうねぇ。
僕はときどき怒るけど、ときどき「許さん!」って思うけど、そう思わないすべてのものを許してるわけじゃない。
「ゆるす」のは、きっと「罪」から来てて。
僕はあのひとを許しはしないけれど愛してはいる。
あのひとじゃなくても、何人かの友を。
人を許すのって難しいでしょう。
「ゆるす」と口に出すのなら、心の底からそれを、その怒りや哀しみを、慈悲をもってあがなわねばならない。
僕はそう思う。
僕が「許す」と口にしないのに、勝手に許されたような気分になっているようなヤツは、少し身の程を知るべきだ。
なんちゃって。
僕は基本的に、感情を昂ぶらせることはあんまりしない。
それを表に出すことも、ずっと少ない。
僕は物静かな人間だと思われてる。
・・・でもそれは、僕の感情が他の人よりもずっと強く烈しいからで、僕は敢えて何重にもフィルターを設け、反応速度を鈍くして、常に冷静沈着であるように、もう何年も訓練してきたからで。
本来、僕は直情的な人間だ。
「ゆるす」と言わない限り、僕はあっさりと誰も許したりはしない。
もちろん、僕の怒りは正当なものではないかもしれない。
けれど、それが正当であるか正当でないかなど些細な問題だ。
僕が「ゆるさない」ほど、僕を怒らせた人間は、それだけで僕に許されない価値があるだろう。

・・・あぁ、因果な性格だなぁ。




↑こわがらせてごめんね。

My追加


 < 過去  INDEX  未来 >


周防 真 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加