あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2002年08月08日(木) 螺子ガ世界ヲ回ス。



今日は「詩の放課後」に行ってました。
で、まずはそこで書いた詩的文章から。お題は『ねじ』でした。



螺子ハ世界ヲ回ス


今日僕は1360円の文庫本を買いました。
今流行りの作家の本ですが、文庫本が1360円もするのはどうかと思います。
というより1360円だけあって、電車の中で吊り革につかまりながら片手で読むにはちょっと重すぎる上に、まずページをめくれない点で間違っていると思います。
そもそもこんな本は上下2巻セットにでもすべきであって1冊にまとめるべきではない。
僕はそのへんで講○社に反感を抱きました。
きっとこの本は読んでいるうちに背表紙がはがれる。本にとっては不本意だろうが解体されてしまう。ばらばらと頁が落ちる。
そうなればもう、螺子釘ででもぎりぎりとねじこんで止めねばなるまい。この分厚さでは何とも1本では足りるまいから五寸釘のような螺子を持ってこねばならない。
あぁ面倒臭い。
しかし考えるだに読みにくそうなこの本を何故僕は買ってしまうのだ。
思うにこれこそが出版社の陰謀で
何度もばらばらと散らばってそれら頁のうち何枚かは失われてしまうだろうことを見越して本の売上upを図ろうというのか。
しかし1360円の文庫本なぞ何冊も買う人間がいるとは思えないし、
それともこの分厚さは単なる見た目のインパクトを目的にしているのか。
確かの他の作家の本が何万冊あってもこの太さは目につく。
やはり出版社の陰謀か。
いや待てよ、他の作家の本何万冊の中でも目につくということは
これはもしや作者の遠大なる計画の1段階なのだろうか。
それならまだ頷ける。
他の本よりずっと目立たせたいがために、この本を。さらに言えば売上げの何パーセントかは作者のものだ。
ぬぅ。
なんとまあ資本主義的な話だ。
仮にも作品を売って人様に読んでもらう商売なら、読む人間のことをもっと考えるべきではないか。
ふむ。
しかし、作者もまた自分の本を読んでもらわねば売上げも伸びないのだから、こんな読みにくい本を作るべきでないのはわかりきったことだ。
もちろん作家が馬鹿でそのことに思い至らなかったというならその通りだけど。
でも何もこんな螺子釘で止めねばならんような本を。
ねぇ。
ねじで。
ねじ。
ふむ。
考えてみればこれは出版社と螺子業界の陰謀なのかもしれぬ。
昨今の不況にあえぐ螺子業界が、出版社側にねじこんで、
螺子を多用させるがごとき本を出すよう強要したのかもしれぬ。もしくは哀願したのかもしれぬ。
  家には病気の子供と年取った母親が。
  ねじが売れなきゃ一家で首吊らねばならんのです。
  一家心中。
  首吊る踏み台にはお前の出した本を使ってやるぞ。
ううむ螺子業界も大変だな、そこまでやるか。
そこまでやるか。
それなら僕も頑張ってこの本を読まねばなるまい。
脅迫された作家と出版社のために。
ひいては苦しい螺子業界のために。
そうして螺子は世界を回している。



とまぁ、けっこう長いな。
こういう詩がつらつら書けてしまうから「詩の放課後」は好きさ。
ちなみに買った本は、皆さんよくお分かりでした。やっぱり分厚い本、と言ったらあの人なのか。(笑
帰りに電車の中で読もうと思ったんだけど、やっぱり片手では無理でした。
文庫本、って英語ではpocket bookなのになぁ。ポケットには入らないし入ったとしても底が抜ける。
あ、今日も生ちょりくん発見。最近ネット活動はしてないそうです。
彼から僕の恋人に、伝言あり。でもあんまり伝えたくないなぁ。



↑町屋の坪庭なとこがぐーでした。
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