僕は、幸せになれるヒトが幸せになれないのが嫌いだ。 って何か変な文だけども。 うん。 幸せになれない人、というのは居る。 確かに。お気の毒だけどあんたはダメ、という人は稀に居る。 でもまぁそういうヒトはえてして自業自得なことが多いので、僕も彼または彼女が自ら不幸になっていくことに敢えて口出しはしない。見ていても楽しくないけれども、ちょっと微笑みながらその様子を見送るだけだ。(微 そして幸せになりたくない人、というのも居る。 こういうヒトは幸せになれない自分、というモノが心地好いので、幸せではないという状態で居ることが幸せだ、というややこしいヒトだから僕も口出しはしない。口出しをする方が馬鹿馬鹿しいし。
僕は、幸せになれるし幸せになりたい、と云うヒトが幸せになれないのが腹が立つのだ。 他人の幸不幸に口出しをしようとする僕が馬鹿なのかもしれないが。 口出しをされれば僕は反発する側だが。 だけど幸せになりたいヒトが幸せになれないのは何か間違ってる、と思う。上手く言えないけど。 そういうのはさみしい、と思う。せつない、と思う。 かと言って幸せにしてあげられるだけのものを僕は持ってはいないけれど。 その無力さに歯噛みしつつ。 僕はただ悔しい、と思う。
僕自身はあまり自分の幸せとか考えたことはなかった。 幸せになろうとか思わなかったし。 自分より不幸せなヒト、という想像が出来なくて。 他人の様々な形の明確な不幸が羨ましかったり鬱陶しかったりした。ただ無性に。 それでも、幸せになりたいヒトがなれない世の中ってのは何か間違ってる。 今も昔も、僕はそう思ってやまない。
まぁこれは、幸せな人間の言だ。
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