今日は『Dolls』観てきましたー。 あー。あれは堪能、って感じだった。 ヴィヴィッドな色、と云うのはああいうのですよ。 音楽も久石譲だし。 期待していった分、裏切られなかったのは凄いと思う。
それにストーリーがね、なんてゆーか、さまざまなあいのかたちを、描いていて。 登場してくるのは物語のベースのカップルと、あと2組だけなんだけど。 でもあれだけ愛というものをまっすぐに取り上げた映画は無いような気がする。 重い、深い、狂おしい、残酷なまでの、愛、を。 見ているこちら側が、言いようもなく孤独にふるえるような。 どんな形の愛も、 間違っているとは言えずに、 それでも見ていられなくて目を閉じてしまいたくなるような、 狂気を。 でもそれは如何に言い換えようと、明らかな、あい、で。 映画、なんだろうか、あれは。 一編の詩のような、音楽のような、ただ一枚の絵のような、 そんな、言い知れぬもの。 例えばね、画家は、絵を描く時、観客の事を思うだろうか。 作曲家は、曲を作る時、満席の聴衆の事を思うだろうか。 詩人は詩を書く時、批評家の事を思うだろうか。 そんな感じで、観る人、の、視点のことを、まったく考えていない映画に思えた。 言うなれば、限りなく、自分の思う「あい」を真摯に真剣に見据えた視線、が、あれになったのではないかと思う。 心臓を、 手のひらで覆って、 その鼓動を確かめようとするのに、 それは不規則に破裂しそうに脈打つから、 恐れと不安と死、に、怯えおののくような。 そんな作品でした。 うん。 今んとこイチオシ。
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